キリストにおいて兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。
シェリル・ゲレーロ・ヴェストハウザーです。45歳で、夫と二人の素晴らしい子どもがい ます。 これからクリスチャンとしての証しをお話しします。 クリスチャンとしての私の人生が始まったのは、13か14歳のときでした。 両親がカトリック教徒でしたので、私はカトリックとして生まれました。また音楽一家で もありました。私の家系には音楽の遺伝子があるのです。 父方の祖父は地元で有名なギタリストで、毎日教会で演奏していました。祖母は歌を歌っ ていました。 祖父のおかげで私といとこたちは、この小さな町の教会の聖歌隊に入りました。 毎週日曜日のミサで歌い、葬儀やその他いろいろな機会に聖歌隊で歌いました。 当時私が10歳の頃、親族の中で最初にクリスチャンになった叔母(父の一番下の妹)が、 私たちの祖父母のところにやってくると、いつも家族の誰かを呼び集め、聖書研究会のよ うに神の言葉を教えてくれたものでした。私は大抵いつも参加していました。 ある日、叔母は隣町の日曜礼拝に参加して、違うタイプの礼拝を経験してみようと言いま した。私ともう一人の叔母とでその礼拝に参加してみると、何かが今までと違うと感じま した。ミサに出席しているときにはない、何かがそこにありました。 その日を境にして、私は聖書に前よりもっと深く興味を持つようになり、いつの日か前に 立って、賛美の歌をリードする人になるのだと自分に言いました。 それで私はミュージック・ミニストリーに入り、ミーティングと練習に参加するようにな りました。いつか礼拝で前に出て歌う人になれるようにと思っていました。 主のために歌うのは素晴らしいことで、まったく違う気持ちがしました。それが何なのか わかりませんでしたが、幸福感と充実感がありました。 そのようにして私はミュージック・ミニストリーで熱心に活動するようになりました。毎 回聖書研究会と祈祷会に出席し、ミュージック・ミニストリーの練習に週2回通いました。 まるで教会がもう一つの我が家のようでした。 私は当時若かったので車もなく、最初の頃は交通手段の点で教会に行くのが簡単ではあり ませんでした。それでも叔父(叔母の夫)が、伴奏のギタリストとして教会の賛美チーム に参加していたので、ありがたいことに教会の行きかえりには、いつも叔父の車に乗せて もらえるようになりました。 そして賛美をリードする準備が整ったのは、私が16歳の時だったと思います。 ところが高校を卒業し、大学に入ってからはとても忙しくなって教会に通うことができま せんでした。学生時代、教会にはほとんど行っていません。 その後大学を卒業し、就職してからも教会に行きませんでした。 教会が分裂し、多くの教会員が離れていきました。私は、別の教会に行くのも大変だと思 い、教会に行かずに家でゆっくりしていようと決めました。 賛美の歌もなく、聖書研究会もなく、日曜日の礼拝もない生活でした。それでも祈ること は決して忘れませんでした。世俗的な友人同士でパーティーをしたり、お酒を飲んだりし ていた他の若い女性のような生活は、絶対しませんでした。 そのうち仕事をすること、人と付き合うことに疲れてきました。交通の便が今よりずっと 悪かったせいでもありました。 私は幸せではありませんでした。何か物足りない感じがして、何かが欠けていたのでした 。 そんな時、友人が私に、東南アジアの国々を旅して歌う、あるバンドの歌手に応募するよ う言いました。素敵なホテルで歌えるのだと思いました。そしてすぐにマレーシア、シン ガポール、インドへ旅行することになりました。 そして2000年にインドで、夫となるドイツ人に出会いました。 一年と経たずに私たちはドイツで結婚し、今年で22年になり二人の子どもがいます。この 22年間、私たちは五か国の違う国に住みました(ドイツ、中国、インド、マレーシア、日 本)。 私たちクリスチャンが外国の地で教会を見つけられないときは、大変な困難を伴いました 。 ドイツに住んでいるときは、ドイツ福音教会に通っていました。(夫の家族が福音派でし た)。中国では教会を見つけることができませんでした。インドでは、ニューデリーにク リスチャンの大きなコミュニティーがありました。マレーシアでも教会の礼拝に出席して いましたが、この神戸ユニオン教会に来ている今ほど積極的ではありませんでした。 神戸では、最初にEKKのドイツ語礼拝に出席していましたが、その後KUCに出席するように なり、それからフィリピン人礼拝のLamb of Godに出席するようになりました。 今、定期的に通って主に奉仕できる教会が見つかって、とても感謝しています。いつもそ こにいてくれて、またミスラン一家を紹介してくれたクラウディア牧師に感謝します。そ してロイ兄とその奥様は、フィリピン人コミュニティーの他の人たちも紹介してくれまし た。 国から国へと転居を続ける海外居住者の生活は楽ではありません。四年ごとに学校を変わ らなくてはならない子どもたちも大変です。 それでも神がすべてを備えてくださり、私たちは何も心配することはないとわかっていま す。 神が私たちを日本に遣わされたのは、仕事の面だけではなく、私が神と教会に再び奉仕す るという神のご計画があったのです。私の家族を以前よりもっと神に近づけてくださった ことも、本当にすばらしいことです。 みなさんもそれぞれの人生で、今まで非常に難しい試練に直面されたこともあったかと思 います。私の場合、自分の世界がひっくり返りました。 でも神の恵みのおかげで、私はあきらめませんでした。私は泣きましたし、落ち込みもし ました。それでも、なぜこのようなことが起きるのかと神に問うことはありませんでした 。私たちを家族として、またクリスチャンとして前よりもっと強いものにしてくださった 神に感謝しました。 そこで、私の好きな賛美の歌、「主よ 捧げます」を紹介します。私は伴奏のギターを弾 きます。 怖くなった時、悲しい時、心配になる時、私はいつもこの歌を主のために歌います。 以前は世俗の世界で歌っていましたが、主が私を変えてくださいました。今は主のために 歌っています。主が私の声を作ってくださったので、主が与えてくださった私の声を、主 に喜んでお返しします。以前、何か足りないと思っていた私は、人生のパズルの欠けてい た部分を見つけたのです。 主がおられなければ私の人生は無意味です。 主にすべてを感謝します。主の名はイエス。 イエスこそ私たちの主であり救い主。 皆さんに神の恵みがありますように。
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祈りましょう。どうか、わたしの口の言葉が御旨にかないわたしたちの心の思いが御前に置かれますように。主よ、あなたは私たちの岩、購い主です。アーメン。
先週、私たちはマーク牧師を説教者として迎え、その後のフォーラムで先生をよりよく知る機会を持ちましたね。マーク先生のお話を伺う中で、特に印象に残った言葉がありました。先生はこのように言われました。「健全(ヘルシー)なものは(自然と)成長する。健全(ヘルシー)な教会は成長する。」 この言葉について今週思いを巡らせてみました。聖書のどこの箇所が教会の成長について良い知恵を私たちに下さっているだろうかと。そのように思っていると、使徒言行録の事が頭に思い浮かびました。使徒言行録にはイエス様が十字架にかかり、死に、蘇られ、天に昇られた後、残された弟子達がどのように復活したキリストの福音を宣べ伝え続けたかが記されています。 使徒言行録の中で最も有名な話といえば、やはり五旬節(ペンテコスト)のことではないでしょうか?ペンテコステの日に起こったこと、それは聖霊が弟子たちやエルサレムにいた人々の上に降り、異言を話し始めます。母国語が違う者達が突然、聖霊によって、お互いの言葉を理解し始めたのです。イエスが十字架につけられる前にイエス様を三度も否定した弟子の一人であるペトロは、聖霊を受けた後、神の御子イエス・キリストを通して示される神の力と、聖霊を受けるための悔い改めとバプテスマの必要性についてそこにいる人々に力強く説き始めます。(使徒言行録2:22-36) そして聖霊が降臨したその日、三千人がペトロの言葉を真剣に受け止め、最後には全員がバプテスマ(洗礼)を受けました。三千人の改宗です!すごいことですよね!使徒言行録(2:47、5:14、11:24)の箇所を読むと、このように急激に成長する教会を目の当たりにした人々の興奮、高揚感、畏敬を感じずにはいられません。 弟子たちを通して神様が働かれ、教会は活気づけられ、力を受けます。聖霊の働きは、人々の間で目に見える力強い力となります! このような目に見える教会コミュニティの開拓と成長の鍵は何だったでしょう?使徒言行録に記されている初期の教会を成長に導いたものは何だったのでしょうか? まずひとつ言えることは、人々は神様が大切にされるものを中心に集まり共同体になったということです。つまり人々は共に生きることを大切にしていたということです。使徒言行録2:43-47を見てみましょう。そこにはこうあります。人々は共にいて、すべてのものを分かち合い、各人の必要に応じてものを分配し、共に食事をし、一つの民として共に神を賛美していました。(使徒言行録2:43-46)人々はこのようにして神様が喜ばれることを一番に、忠実にいた結果、日に日に救われる人が増えていったのです。(使徒言行録2:47) しかし、今週使徒言行録の前半部分を読んでいて、初代の教会の成長の鍵はその他にもあると思いました。聖書を読んでいるとそう示されたのです。 それは初代教会が、共同体として批判を健全に、うまく対処したことです。 共同体は親密に、信仰に預かるものとして、一つになっていきました。そして神様は弟子達を送り出し、キリスト教がより多くのさまざまな場所に宣べ伝えられ始めます。キリスト教の信仰が広まり始めると、共同体は困難に直面します。それは対立に関する困難でした。教会の指導者たち、弟子達、使徒達は、公の場でイエス様について語ることで、直接的な攻撃や迫害を受けはじめたのです。当時の宗教指導者達は、このことによって、より多くの人々がイエス様の福音を信じ、自分達の宗派を去ることを恐れました。そのため宗教指導者達は、弟子達を脅威と感じ、迫害し始めます。時には宣教に出かける場所で、弟子達は牢獄に入れられます。何度も命の危険が彼らに及びました。 このような迫害は外部からの攻撃ですが、初代教会が直面していたのはそれだけではありません。一部の指導者達や、信者に対する教会内からの攻撃、批判があったのです。それは教会の成長を脅かすものでした。なぜなら批判、攻撃は教会の一致を分断し、福音が広まるのを妨げる可能性があったからです。 よく考えてみてください。共同体の中で対立が深まると、その中にいる者たちはエネルギーと資源の大部分を、その対立に対処するためだけに消費することになります。みなさんも経験があるのではないでしょうか?長引く対立は私たちを疲弊させ、消耗させ、大切な物事に集中できないような状況を作り出します。 今日の聖書朗読は、初代教会が教会内で直面していた対立の一つを示しています。それは異邦人(非ユダヤ人)の救いに関することで、これは当時のキリスト教コミュニティにとって違う意見が交わされる、対立を生みやすいトピックでした。 今日の聖書箇所の背景はこうです。まずは今日の聖書箇所の一章前をみてみましょう。そこでは驚くべきことが起こっています。コルネリウスというイタリア人の兵士がいました。彼は身分の高い人物でしたが、彼がより優れていたのは彼が謙遜であったということ、そして非ユダヤ人でありながら、(当時、ユダヤ人だけが神様に選ばれた民であり、真に神様に献身できる唯一の民であると信じられていた)神様に献身し、神様を恐れていたことです。(使徒言行録10:2) 神様は彼の信仰を尊び、彼を用い、彼に語られます。神様は彼を通じて、イエス様の弟子の一人であるペトロを、コルネリウスが属する異邦人(ユダヤ人以外を意味する形式的な言葉)のコミュニティに連れて行き、彼らがイエス・キリストの福音を聞くことができるようにされます。 ペトロは、当時のユダヤ人の多くがそうであったように、ユダヤ人が異邦人と交際したり、あるいは異邦人を訪問したりすることは律法に反すると考えていました。(使徒言行録10:28)。そのため、はじめはコルネリウスと異邦人のコミュニティを訪ねようとは思っていませんでした。神様がそうしなさいと彼に告げるまでは。 ペトロは主の導きを感じ取り、幻を三度見ます。(使徒言行録10:16)御霊からも直接語られます(使徒言行録10:19)。これらのことから、ペトロは、神様が異邦人を含め、神様が清める人々を誰も不敬虔な者、汚れた者と呼んではならないと語っていることを悟ります。 神様の導きによって、ペトロはカイサリアのコルネリオと異邦人のコミュニティーのところへ出向きます。そしてそこで福音を宣べ伝ます。彼は、神は人を分け隔てせず、どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」と話します。(使徒言行録10:34)神様はすべての人の主であり、(使徒10:36)ユダヤ人であろうと異邦人であろうと関係ない。キリストを信じる者は皆、キリストの名によって罪の赦しを関係なく受けると話します。(使徒言行録10:43) すると、神様が選ばれた信者に与えられる賜物である聖霊が、ペトロの言葉を聞いたすべての異邦人の上に下ったので、(使徒言行録10:44) 異邦人はイエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けました。 なんということでしょう!私たちの神様は差別される神様ではないのです!使徒言行録10:34をもう一度見てみましょう。イスラエルだけでなく、どこの国でも、神を恐れ、正しいことを行う者は誰でも神様に受け入れられる。神様は人を分け隔てられない。(使徒言行録10:34)神様は差別をなさらない。このようにして、クリスチャンとしての姿勢が私たちに示されたのです。神様は、人種や民族に関係なく、キリスト・イエスを信じるようになったすべての人を赦し、受け入れ、聖霊を賜る。そして、私たちの多くはユダヤ人ではないにもかかわらず、私たちが神の子どもと呼ばれる特権をいただいたのです! ペトロはこのことで霊的な高揚を感じていたのではないでしょうか?彼が見た幻が、コルネリオとコルネリオの町の異邦人コミュニティーとの出会いにつながっていったのです。主はペトロだけでなく、コルネリオにも語っておられました。ペトロは、信仰や神様の人格に対する自分の理解が部分的であったことを、神様の啓示により悟ったのです。つまり自分の考えが主により正されるという経験をしたのです。 神様は差別される方ではありません。神様は一部の民だけの神様でもなかったのです。神様はユダヤ人だけでなく、すべての異邦人の主でもあるということをペテロは悟ったのです。 そして、ユダヤ人がイエス様を信じ、バプテスマを受けるのを目撃したのと同じように、ペトロは、自身が汚れていると思い込み、神様が交わることを禁止しておらえると思っていた異邦人のコミュニティで、人々が神様に立ち返り、バプテスマを受けるのを目撃しました。神様はこのようにしてペトロが固執していた考えにチャレンジしたのです。ペトロが異邦人のところに行き、異邦人の人々に福音を宣べ伝え、人々が神様の家族に迎え入れられるようペテロを遣わし、用いられたのです。 そして、今日の聖書箇所である使徒言行録11章に入ります。11章はペトロがユダヤ人の信者たち(この章では割礼を受けている者たちと呼ばれている;使徒言行録11:2)から批判を直接受けるところから始まります。 ペトロを批判した人々の主張はこうでした。ユダヤ人の信者たちは異邦人もまた、神様のことばを受け入れたと聞くと、( 使徒言行録11:1)このようにペトロに迫ります。 「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」。 (使徒言行録11:2)ペテロは非難を受けます。 ペトロの立場になって考えてみる時、あなたならこのような状況にどう対処するでしょうか?想像するのが難しいのであれば、自分が批判されたと感じた場面を思い浮かべてみてください。 みなさんに少しそのことを考えてもらっている間に、私自身の経験を少しシェアしたいと思います。私は、時として批判や非難に対し、とても人間的に応答してしまう事があります。クリスチャンとして、私は世間とは違う生き方をするように召されていることを知っていながらです。 批判されると、人間は本能的に防衛的になる事が多いのではないでしょうか?私が時として陥ってしまう言動はこうです。どうすれば自分の主張を正当化できるか、どうすれば自分の主張をより強く裏付けることができるかに強く焦点を当て始め、そのためにはどうすればいいかを考え始めます。私を批判する人たちが私に話す機会を与えず、話すのを邪魔すると、イライラが募ります。もちろん話を聞こうと努力しますが、相手の話を真に聞くのではなく、相手の信念がどこから来ているのかを理解しようとするのでもなく、頭の中で相手の発言に対しいかに素早く反論、対論できるかを考えはじめます。このように自分の反応、対応に集中してしまうと、祈ることをすっかり忘れてしまい、事態はさらに悪化します。感情的になるだけではなく、最悪な場合はその人の行動や発言ではなく、その人の人格を頭の中、心の中で批判し始めるのです。 恥ずかしい事ですが、私はこのように振る舞った事があります。感謝なことに、このような言動を取ったことを聖霊が私に教えてくれたので、もっと気をつけて批判をされた時に人と接するようになりました。(もちろんまだ完璧に振る舞えるわけではありませんが。) みなさんはどうでしょう?私の言うことに共感できますか?それとも、このような困難を感じているのは私だけなのでしょうか? みなさんは批判にどう対応していますか?批判する時、批判される時、その状況に神様を招いていますか? 私が今日の聖書箇所で神様の働きを実感し、感動を覚えるのは、ペトロのキリストに似たものとして練られたその姿です。ペトロがユダヤ人からの批判にどのように対応しているかを見てください。その姿を通して、私たちは学ぶことができます。批判を受けたペトロは腹を立てているようには見えません。怒っている様子もありません。批判した人を退けるようなこともしていません。 代わりにペトロはどうしたのでしょうか?ペトロは批判にどう対応したのでしょう? 4節を見てください。 ここでペトロは、彼ら(ペトロを批判した人々)に事の次第を順序正しく説明し始めます。(使徒言行録11:4) 批判されているときに、物事を順序よく、段階的に説明するには、成熟と自己鍛錬と謙遜が必要です。ペトロは、自分に向けられた批判に対してすぐに反応したり、別の批判で相手を攻撃したりはしませんでした。ペトロは相手に語りかけ、冷静に、順序よく、順を追って、一つ一つ、彼の身に起こったこと、異邦人に起こったことを説明したのです。(使徒言行録10:4) このように批判に対処できるには、自分の中にある自己防衛の傾向を知っていなければいけません。なぜなら、私たち人間は「自分たちが正しく、相手が間違っている」という信念にしがみつきがちだからです。 しかし、ペトロは自己防衛を目的に、対話をしたようには見えません。もしそうであったなら、自身の権威を強調し、もっと非難するような口調で相手に語りかけたことでしょう。例えば、「使徒である私がそう言っているではないですか!神様は差別なさらない方だということを。どうして皆さんはこの事がお分かりにならないのですか!」。しかし、ペテロはその代わりに、自分がどこにいたのか、自分に何が起こったのか、何を見たのか、神から何を聞いたのか、御霊が何をするようにと告げたのか、異邦人コミュニティで何を目撃したのかについて、事の次第を順序正しく説明することを選びました。(使徒言行録11:4-16) そのような説明を経て、ペトロは、彼自身が至った結論を彼を批判する人々にこのように伝えます。「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」 (使徒言行録11:17) 神様のご計画に異論を立てるなんてできるでしょうか?自分が何者かを知っていればそんなことはできないでしょう。 ペトロは自分が神様ではないことを理解していました。ペトロは、自分自身が他の人間と変わらないことを知っていました。イエス様に選ばれ、用いられる弟子でありながらも、ペトロには謙遜さがありました。神様の啓示によって自分の確信が正される可能性があることを知っていました。彼はキリストに用いられる器として成熟していました。 しかし以前のペトロはこのような信仰者ではありませんでした。イエス様が十字架にかけられる前、彼は自分自身の信仰に強い確信を持っていました。イエス様がペトロに対し、彼の信仰が無くならないよう祈ったと言うと、ペトロはそのイエス様の言葉に「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言います。 イエス様は、このように応答します。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」結局、イエス様の言われた通り、ペトロはイエス様を3度知らないと否定しました。(ルカによる福音書22:31-34、22:54-62)ペトロは、自分の強い覚悟と確信が、間違っていることを認識せざるおえない経験をしました。この経験は彼を謙遜な信仰者へと練り上げたのでしょう。イエス様は全てをご存知でした。全てのことを知り尽くし、ペトロにこう言ったのです。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 (ルカによる福音書22:32) 信仰者としての彼の神様に対する理解は部分的なものでした。人間の私たちは神様と神様のご計画を全て理解するということはないのです。このような経験をしたペトロは自分を批判する人々に対し、自分が通ったところを通っている者として、思いやりを持ちつつも、イエス様がペトロに接したように、真実を曲げることなく伝えたのです。 ペトロは神様が明らかにされる事象が自分中心のことではないということ、また彼を批判する人々中心のことでもないということ、神様が中心にされる、焦点に置かれるお方なのだと自分の信仰のつまずきの経験から知っていたのです。 ペトロは、神様が明らかにされた神様御自身とそのご計画について、人間の理解は常に部分的であることを理解し、焦点を神様と神様が行っておられることに当てることによって、批判に対処しました。ペトロは自分の経験から、人間の知識と理解には限界があることを知っていたのです。 さすがペトロ!やはり立派な弟子! と結論づけるにはまだ早いと私は思います。特に今日の聖書箇所を読むとそう思います。 今日の聖書箇所を通しての語りかけは、ペトロは強い信仰の持ち主であり、私たちも彼のようになるべきであり、彼の強い信仰を通して福音が宣べ伝えられ、教会が成長したというメッセージではないと私は思います。今日のお話しは神様のお話なのです。神様は「人を分け隔てなさらない」方(使徒言行録10:34)だということを 神様がペトロを通してペトロを批判していた人たちに伝えるという話なのです。 ペトロは、神様が彼を通して語りたいことに集中しました。ペトロを批判した人々は、自分達の批判を分かち合った後、ペトロの話に耳を傾けました。ペトロの話をさえぎる様子は見られませんし、18節にはこのようにあります。「この言葉(ペトロの説明)を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した」とあります。(使徒11:18)最初はペトロを批判した人々も、自分たちの中にある強い確信や、ペトロの考えを封じ込めて自分達の確信について話したい、それについて証明したいという欲求を脇に置いて、ペトロの説明に耳を傾けました。それだけでなく、静まり自分達自身の異邦人に対する考え方が間違っていなかったのか改めて自分自身に問い直したのです。 素晴らしいことが起きたと思いませんか?ここで起こった事の重要性がわかるでしょうか?ここで起きたことそれは、ペトロ、ペトロを批判した人々全員が、互いの意見の相違から来る対立を中心にするのではなく、代わりに自分、相手以外の事を軸とし、改めて思いを巡らせたのです。全員が自分達の人知を超える神様の人格とご計画を理解しようとしたのです。 神様は、相容れない意見の違う人々が、それぞれ自分達の中にある人間的な確信を手放すという謙遜を通して働かれました。ペトロは、批判に対し弁明や、自己擁護をするのでもなく、また批判に対し、批判で応答することもありませんでした。彼は「ただ事の次第を順序正しく説明し始めた」のです。ペトロを批判した者たちはそのようなペトロの言動を通して、立ち止まり、神様が自分達の理解を超えてなさっていることに耳を傾けることを選びました。 そして、このようにして神様は自分(達)は間違っているのかもしれないと、神様が真実を明らかにされるという思いを心のどこかに持つことから来る謙遜を全員が持つことを通して働かれ、意見が相違し、対立しそうになった状況を一致へと導きました。当初ペトロを批判していた人々は、ペトロがたどり着いた結論に同じ結論に達するのです。「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」。(使徒言行録11:18) これは本当にすごいことです!考えてみてください!一人一人の態度、言動がこの素晴らしい一致に繋がったのです。もしペトロが自分自身に向けられた批判に対し、人間的な方法で対処していたら、批判の言葉を向けた人々は神様がペトロを通して伝えようとされている異邦人に対する恵みの知らせを知ることはできなかったかもしれません。 詩篇133篇1節にこうあります。 「見よ、兄弟姉妹が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」 私たちも教会としてこのような体験をしたいと思いませんか? では、もう一度皆さんにお聞きしたいと思います。みなさんは批判にどう対処していますか?批判に対し、防御的な反応やさらなる批判で応戦しますか?それとも謙遜になり、神様が自分自身、そしてあなたを批判した人たちに何を伝えたいのか、耳を傾けることに集中しますか?自分の見方、考え方が部分的で不完全である可能性や、神様が他者を用いて自分が知らなかった事を明らかにしてくださる可能性に対し心を開いていますか? また、他人を批判するとき、もしくは批判したいうという思いにかられる時(それが意図的なものであろうとなかろうと)、自分の信念の強さを手放し、相手の内にも宿る聖霊に耳を傾け、信仰と謙遜をもって、神様が真理を明らかにしてくださることを信じて、その人を理解しようとする心構えができているでしょうか? 私たち神戸ユニオン教会に与えられた恵みそれは、多様性です。私たちの教会には様々な人々が集っています。カトリック、バプテスト、メソジスト、聖公会、福音派、ペンテコステ派、そして超教派の人々らが集い、神様の恵みと憐れみのおかげで、私たちは互いの伝統やバックグラウンドを尊重し合い、そうしようと努力しているのです。しかし、いつもそうしているとは限りません。特に神戸ユニオン教会に長くいる人たちは、多様性があるゆえ、私たちの教会が対立しやすい誘惑にかられること、対立しやすい危険を持っているということを知っていると思います。 神戸ユニオン教会には、バプテスマとは何か、聖霊の働き、神様の奇跡、LGBTQIAコミュニティーのメンバーに対する聖書見解、教会における女性のリーダーシップ、聖書の読み方を、科学と聖書の関係、信仰者としての心構え、イスラエルとパレスチナ間で起こっている戦争の意味、神戸にどのように福音の種を撒くべきか、さらには神戸ユニオン教会の将来について神様がどのようなことを見据えておられるのかについてさえ、私たちの中に意見の違いがあります。 神様は私たちが神様の元にあり一致できるようにおられることを決して忘れてはいけません。神様は私たちに聖霊を授けてくださり、聖霊は私たちを真理へと導いてくださいます。聖霊はまた、私たちにキリストの教えを思い出させ、自分達だけでは決して開くことのできなかった前進の道を示してくださいます。私は日々聖霊に頼っています。頼らざりおえません。批判に対して私が、人間的な方法で対応してしまったとき聖霊様は私がそのように自覚するのを助けてくださり、対立した相手に戻って話すように促してくださいます。聖霊を通して、私は思いやりのある聞き手、話し手になることができるのです。聖霊を信頼するとき、驚くべきことが起きます!解決できないことが解決し、不可能が可能になるのです。 今週導かれるままに、あなた自身が批判にどのように対処しているか考えてみてもらいたいと思います。あなたが現在今、実際に批判に対し、どのように対処しているかをを考えてみてほしいと思います。今日の聖書箇所はあなたに何を語りかけているのでしょうか?一方が他方に対して勝利するという方法で批判に対処するのか、それともその場にいる全員が神様に従うことで一致に至るという神様が可能にされる解決方法を求めるのか、それをどのように実践していけばいいのか考えてみてほしいのです。神様は私たちの心と頭に湧き上がる批判よりも偉大なお方です。ですから、私たちも批判が招く問題を超えた、信仰者、共同体になれるのです。 祈りましょう。 主よ、私たちを憐れんでください。私たちは批判的な人間であるだけでなく、批判や批判を受けるとすぐに腹を立てる人間です。しかし、それでもなお、主よ、あなたをさらに求め、あなたがなさっていることに目を留め、主とともに謙遜に歩むことによって、批判に対処する別の方法があることを示してくださったことを感謝します。どうか主よ、私たちKUCが、あなたに喜ばれるような方法で、衝突や批判に対処し続けることができるように助けてください。私たちは、あなたの真理と、あなたに従うことから生まれる一致に、もっともっと近づきたいと願っています。 イエスの御名によって祈ります、アーメン。 先週の日曜日の午後、私は主イエスが湖の上を歩いた説教を書き終えた後、妻と共
に温泉に行きました。私はサウナに入り、一人で座り祈っていました。神様が私に 「あなたの説教は良いだろう、だが、私があなたと共にいた、あなた自身の信仰の 旅を語ってほしいと思う。」と語りました。それで、多くの人々は私の説教を聞い たことがあるので、今日は私の証をお話しする方が有益だと思います。 警告です!時々、私は人々の証しを聞いたことがあります。彼らの焦点が謙虚さを 装い自慢話になっているのです。「私を見て。」という感じです。私の証しはそう ではありません。私は自分が悪い人間でないことは分かっています。私は人々とう まくやっていこうと努めますが、常に私の理想や主が私に設定した標準には達して いないこともあります。同時に、主が私の人生でしてくださった業も分かっていま す。 私が湖の上を歩く説教(マタイ14:22-33)から感じたことの1つは、これです。こ の文章のタイトルを書いた人はそれを何と呼びましたか?(誰か、自分の聖書を見 てください)。ほとんどの聖書では、「イエス、湖の上を歩く」と書かれています 。しかしポイントはそこではありません。主イエス、神の御子が湖の上を歩いても 私は驚きません。このようなことは私の信仰の範疇内で理解できます。もちろん、 人の子にはそんなことができるのです。私が驚いたのは、主イエスの「来なさい」 という呼びかけだけで、ペテロが水の上を歩けたことです。これは驚きです。これ は力の移転と呼ばれます。それはペテロの能力ではなく、主イエスが彼ペテロにす ごいことをする力を与えたからです。そして、ペテロは主イエスを見つめ続ける限 り、水の上を歩いたのです。ペテロが見続けないと、災難が起こりました。ペテロ が周りを見まわすと、湖に沈没し叫んだのです。私も、沈みこむことの多い人間で すが、毎回、自分を再びキリストに集中させ、私の人生に彼の強い御手を感じるこ とができました。 余談ですが、私はサタンを信じています。いいえ、私はサタンを信じていませんが 、彼が存在し、生命と健康の敵対者であることを信じています。最も悪質な攻撃の 1つ(私はマタイ14章の文章を引用します)は、サタンがペテロをつまずかせるわ けでも、波を送ってペテロを邪魔するわけでもありません。いいえ、ペテロが湖の 上で、自分にはできるんだと考えてしまうように、サタンはペテロに思い込ませた だけです。教会の皆さん、私達には出来ないのです。長期的にみると、あなた方が 私を牧師として招聘するか否かはあまり重要ではありません。重要なのは、あなた 方が主を見つめ続けることです。あなたが教会やクリスチャンとしてどれだけ長い 間過ごしているかは関係ありません。ボール(キリスト)から目を離すと、人生を つかむことはできません。主に焦点を合わせ続ければ、驚くべきことが起こります 。 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業 を成し遂げてくださると。私は確信しています。(ピリピ人への手紙1:6) この一節は、私が13歳の時に両親から送られた聖句です。私が洗礼を受けたとき に私に与えられた聖書に書かれていました。子供の頃、私はペンシルバニア州のス テートカレッジにあるメノナイト教会に通っていました。父は心理学者で、母は社 会福祉士でした。私達の教会はキリスト中心でしたが、あまり活発でない教会でし た。ユースグループは小さく、たった2人だけで、両親はこれが私の霊的な成長に 良くないと考えていました。1ブロック先には大きなアメリカン・バプテスト (AB)教会があり、父はその教会の牧師と親友でした。両親は私を母教会まで車で 連れて行き、そこから私は一人でAB教会に歩いて行きました。そこでキリストを受 け入れ、2度目の誕生を迎えました。この一節は、神様が私に信仰を宿らせ始めた 過程を思い出させてくれます。神様は私の信仰の著者であり、信仰を完成させるお 方です。私の信仰は完全ではなく、今もキリストに似た者になる過程を経ています 。私の時ではなく、神様の時にかなったときに完成がなされるのです。私の洗礼に おける約束は、信仰を保つことです。私が道から外れたときに、自分を軌道修正し て信仰を保ち続けることです。神様が始められた業だから、善いことは分かってい ます。私がどんな死の谷を歩んでも、神様は私と共にいてくださり、神様は私の中 での業が終わるまで、鞭か何かで私を導き守ってくださることを知っています。私 は大学で神様から遠ざかりましたが、主の良さが私を再び彼のもとに引き寄せてく ださいました。 「主がその時、ろばの口を開かれたので、ろばはバラクに言った。『わたしは、あ なたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。』。バラクはろばに言 った。『お前が勝手なことをするからだ。もし、わたしの手に剣があったら、即座 に殺していただろう。』」(民数記22:28-30) 20年後、私は日本で育った女の子に恋をしました。私達は日本に来て、本来は1年 のつもりでしたが、米国の経済状況が悪かったため、私達は横浜に居を構えました 。私達の息子たちは横浜で生まれ、横浜ユニオン教会に通いました。教会は残念な がら私達が通い始める直前、牧師にセクシャルスキャンダルがあって、教会は約 20〜30人に減少しました。牧師を雇うには資金がなく、私達は自分達で教会運営を していました。私は説教以外のあらゆる側面で奉仕しましたが、説教はいつも断っ ていました。しかし驚くべきことに、教会は成長しました。礼拝/御言葉/フェロー シップに焦点を当て、教会は20人から100人を超えるまで成長したのです。健 康なものは成長すると私は信じています。自然の成り行きです。教会や人が成長し ていない場合、最初に尋ねる質問は「教会は健康ですか?」です。健康でない場合 、どうやって健康になるかを考えます。私達の教会はこれらの3つのことに焦点を 当て、約100人規模に成長したので牧師が必要になり、私達は米国からさいとう 牧師を招聘しました。 さいとう牧師が教会に来て、ちょうど2回の日曜日に、私は自分が教会の前で(私 の友人達の前で)民数記22章のバラクとろばについての説教をしている夢を見ま した(いつかそれを読んでください)。バラクは主の御心に反することをしようと しています。ろばに乗り、イスラエル人に呪いをかけていると、主の御使いがろば の前に剣を持って立ち塞がったのです。ろばは剣を持った御使いを見ることができ ましたが、バラクは見ることができませんでした。だから、ろばは立ち止まり、バ ラクの命を救いました。しかしバラクは御使いを見ることができずに腹立ちまぎれ にろばを打ちました。この時、ろばは話し始め、ろばはバラクに仕えて命を救おう としているのに、なぜバラクが自分を打っているのか尋ねました。この時点で、バ ラクの目が開かれ、彼は危険を察知して静まって引き返したのです。非常に神学的 で興味深い話です。 私は自分がこの聖句の説教をしている夢を見ました。それを一晩見て、次の晩、ま た次の晩、と夢を見続けました。私はあまりよく眠れていなかったので、妻ステフ ァニーに話しました。彼女はおそらく神様があなたに説教をしてほしいのかもしれ ないと言いました。私は「いいえ、そんなはずはない」と言いました。次の日が日 曜日で、私はさいとう牧師のところに行って、もし説教をする人を探しているので あれば、試しにやってみたいと言いました。彼は新入牧師で、親切でした。彼は「 私はたった今、ローマ人への手紙の10~12週のシリーズを始めたばかりで、そ の後でお話しできるかもしれませんね。」と言いました。素晴らしい、私は肩の荷 が下りた気分でした。家に帰り、ドアを開けて中に入る途中、電話が鳴っていまし た。それはさいとう牧師からでした。彼は翌週出かける予定で、他の教会の牧師が 代わりに来る予定でしたが、その牧師が説教をキャンセルしたのです。それで、私 が説教できるだろうか? 私はもう1晩夢を見て、夢で伝えられたポイントをすべて書き留めました。次の日 曜日、私は夢で説教した通りに説教しました。興味深いことに、私が見た夢と同じ 場所に皆が座っており、同じ服を着ていました。私の説教の題は「神様はろばを通 してでも話しかけることができる」というものでした。失礼に聞こえるかもしれま せんが、神様は時折私を通して言葉を語ります。時々、私は説教の夢を見るのです 。 私の3つ目の聖句は、弟子達が汚れた霊を持つ少年を癒すことができなかった理由 を尋ねたマルコ9:29です。イエスは「この種のものは、祈りによらなければ決して 追い出すことはできないのだ。」と答えました。マタイの記述のように、「断食と 祈り」と言っている翻訳もあります。 私が説教をしたのは1年後のことで、神様は私に再度説教をする機会を与えました 。その時日本を離れて神学校に行くという召命を与えられた気がしました。最初の 1年間、ステファニーも神様から神学校に通うことを感じ、私の2年目に彼女は神 学校に通い始めました。それで彼女は私より1年遅れでしたので、私が卒業した後 、他の友人たちが教会の職に就いていましたが、彼女を待つ必要がありました。牧 師になる代わりに、私は裁判所命令による怒り管理カウンセラーの仕事を引き受け ました(楽しい仕事ではありません)。主な2つのケースは、学校を爆破すると脅 迫した天才の少年と、スタントン中学校の発達障害のある少年でした。 彼をJと呼びます。Jは私と同じくらい大きかった、多分少し大きかったかもしれ ません。彼は14歳で、知能指数は3~4歳児程度でした。彼は落ち着いていると きは、かわいい大きな子でした。興奮すると、怒りでコンピュータを持ち上げて部 屋の端から端に投げ飛ばすことがありました。学校と家族の間で法廷闘争があり、 私は和解を取り持つ人でした。彼は1日に3~4回興奮することがありました。私 の仕事は、まずクラスの他の子供たち、教師、J、そして可能であれば私自身を守 ることでした。私はこれらの暴力的な出来事を詳細に記した事件報告書を書かなけ ればなりませんでした。静かで着実なケアを通じて、私はJの事件数を1日あたり4 回から週に2〜3回に減らしました。学校と家族は非常に喜んでいましたが、私はみ じめでした。週に2回、私は青アザをつけて家に帰り、神学校に行っている仲間が みんな職に就いているのに、私だけがJと格闘していることに対して苦々しく思っ ていました。 ある日、Jはちょうど先生が頼んだとおりに行動し、報酬としてピンククッキーを もらう予定でした。Jはピンククッキーが大好きでした。しかし、先生がクッキー を取りに行くと、在庫がなくなっていました。Jは怒りました。Jは先生を持ち上 げて教室の端から端へ投げ飛ばしました。私はすぐそこにいて介入しました。私達 は取っ組み合いになり、彼を他の人々から安全に遠ざけて廊下に連れ出しましたが 、私の頭はいくつかの打撲を受けていました。最終的に、私は彼を抑え込んだので すが、それはひどい出来事でした。私は怒って彼に向かって「あなたは悪い子だ」 と叫びました。その時、まるで冷水の波が頭の上を流れるように、聖霊が私に降り てきたのを感じました。私は大声で祈り始めました(公立学校では祈りが許可され ていません)。しかし、神様が語りかけ、私は、主の御名において、サウル王の霊 を取り除き、Jを愛と平和の聖霊で満たすようにと祈りました。興味深いことに、 その日、Jは怒ることはありませんでした。次の日も、その次の日も怒りませんで した。次の週も同じでした。私はあまりにも優しすぎるのかもしれないと思ったの で、彼が毎日の目標を達成しなかった場合、ピンククッキーをあげませんでした。 彼はそれを好まなかったかもしれませんが、私を打つことも怒ることもしませんで した。1か月後、私は校長に会いに行って、もう私は学校に必要ないことを言いま した。彼らは学年度が終わるまでいてほしいと頼みましたが、Jは癒されたので、 基本的に私はJに本と読み聞かせているだけだと話しました。この事件の後、Jの 家族は教会に行き始めたのです。日に3度の暴力事件は、週4回に減りました。し かしながら神様はJを癒すことができるのです。私達は人間の能力を超える神様か らの召命に自分を使っていただくことができるのです。私はカリスマ的(奇跡を行 なう超能力を持つ者)ではありませんが、神様が祈りの力と神様を信じる力を私に 教えてくださいました。 校長に私の宗教と信仰の影響を持つ機会を与えてくれることを伝えました。彼は同 意し、私は彼と祈りました。それ以来、Jは怒ることがありませんでした。もちろ ん、神様は常に私達の祈りに答えるわけではありません。しかし私はこの経験を通 じて、神様が私達の祈りと信仰に応じて驚くべき変化をもたらすことができるとい うことを知りました。神様は私達の最善を願い、私達が信仰を持って祈ることに応 答することがあります。この経験は私の信仰を強め、神様の力と恵みを深く理解す ることができるようになりました。私達は信仰を持って祈ることができます。私達 の信仰が試されるとき、私達は主に頼ることができます。私達が信仰を持って祈り 、期待し、待ち望むことで、神様の驚異的な働きを目撃することができます。 長くなりましたが、これらの経験と聖句は、私の信仰の歩みを形作り、私が神様の 愛と恵みを深く理解し、他の人々と共有することが出来るようにしたのです。神様 の力と導きが常に私達と共にあります。主が私達の人生の中で驚くべきことをなさ ることを信じています。あなたも主を信じ、主に信仰を持って祈ってみてください 。神様はあなたに驚きをもたらし、あなたの信仰を成長させ、あなたの人生に祝福 をもたらすことでしょう。 主の御名において、アーメン。 愛する神戸ユニオン教会の皆様とメッセージを分かち合うことのできる機会が与えられ
たことを主に感謝します。K U Cのメンバーだった2009年から2013年のことを時々思い 起こします。人生の中でとても祝福された4年間でした。今日の機会を下さったクラウ ディア牧師、亜希子牧師、K U Cの皆さんに感謝しています。私たちは困難な時代に生 きていますが、御子イエス様を通して既に恵みを下さっている神様に感謝します。御言 葉を通して、今日の社会で信仰を貫き通すための新たな勇気と見地が与えられますよう に。ヘブル人への手紙12章14−15節はこのように勧告しています。「すべての人との平 和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることが できません。だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり 、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい。」 ヘブル人への手紙は、家の教会に集うユダヤ人クリスチャンに向けて書かれた説教です 。信仰的に落ち込んでいる教会員たちに、敵対する社会の中で信仰をしっかりと貫くよ うに、と深い牧会的配慮をもって励ましています。教会員たちはしばらくの間、イエス 様に従っていましたが、困難を経験した後、信仰を妥協してしまうかも知れない危機に 直面していました。彼らは霊的に精神的に疲弊しているのではないか、とヘブル書著者 は懸念していました。神様の恵みはありとあらゆる状況にあっても満ち足りているよ、 イエス様という大祭司がおられるから、と励ましています。 その上で、神様の恵みに対して、キリストの十字架上での犠牲によって与えられた賜物 に対して無関心になることがないように、と著者は警告しています。平和と聖さはキリ ストが信徒に下さった賜物です。キリストの十字架での贖いの御業によって平和がもた らされました。キリストは十字架の血潮によって私たちを神様と和解させ、私たちと他 者の間に平和をもたらして下さいました。人間の努力ではできない聖めを神様はキリス トを通して行って下さったのです。神様に受け入れられるように私たちを聖めて下さっ たのは自らの犠牲の死を遂げられたキリストです。聖さは賜物です。私たちはその恵み の御業に応答しなければなりません。聖さがなければ、誰も主を見ることはできません 。イエス様ご自身がこのように言われている通りです。「心のきよい者は幸いです。そ の人たちは神を見るからです(マタイ福音書5章8節)。」教会員たちがお互いに注意 深く配慮し合いつつ、共に平和と聖さを追い求めるように、とヘブル書著者は諭してい ます。 次いで、ヘブル書著者は背信への深刻な警告の後、エサウのぶざまな例を挙げています 。この世的なものを愛したために、たった一杯の食物のためにエサウは背信の罪へと陥 ったのです。ご自身の前に置かれた喜びのゆえに、十字架を忍びばれたキリストと、こ の世の楽しみのために神様の永遠の祝福の約束を軽んじたエサウを鋭く比較しています 。エサウは神様の恵みはちっぽけだと宣言し、恵みから落ちた俗悪な者でした。この恵 みとは著者が2章3節で記している「こんなにすばらしい救い」に他なりません。「こん なにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることがで きるでしょうか」、と。霊的な無関心や無頓着によってだれも恵みから落ちることがな いように、と著者は深い懸念を示しています。恵みにしっかりと立つように、と信徒に 念を押しています。神様の恵みへの無関心さによって、私たちや教会の中に苦い根が生 え出ます。ここでヘブル書著者は申命記29章18節に言及しています。「万が一にも、今 日その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々のもとに行って仕えるよ うな男、女、氏族、部族があなたがたのうちにあってはならない。あなたがたのうちに 、毒草や苦よもぎを生じる根があってはならない。」ヘブル書著者は教会に害をもたら しかねないもの全てを苦い根という比喩を用いて表現しています。苦い根は苦い果物を 生み出します。もし私たちが苦い根を放置すれば私たちの中に、他者の中にそして教会 全体にまで大きな被害をもたらします。苦い根は分派、反逆、偽りの教え、背信をもた らします。 ヘブル人への手紙12節14−15節の訓戒を熟考するにあたり、アズベリー リバイバル(注 :アズベリー 大学・神学校側はリバイバルではなく、聖霊の注ぎと呼んでいます。こ れは始まりで、リバイバルと呼ぶかどうかは歴史家の判断を待たなければならない、と の控え目に捉えています)についてお話ししたいと思います。今年2月8日の大学での水 曜日の定例チャペルアワーから始まり、16日間にわたり礼拝、讃美、祈りと証しの集会 がノンストップで続きました。アズベリー神学校の学生だった2000年代前半、学生にと ても慕われていたスティーブ・シーマンズ教授は神学校コミュニティーで共に平和と聖 さを求めるように、とよく学生を諭されました。また、リバイバル を求めて祈ろうね 、と励まされていました。スティーブは、1970年に起こったアズベリー リバイバルを 学生時代に経験して以来、リバイバルが起こることを何十年も祈って来られたアズベリ ー 大学卒業生のお一人です。2003年、イラク戦争が起こった時、神学校のコミュニテ ィーで意見の食い違いから揉め事が起こりました。神学校学長が和解と祈りのための礼 拝の時を持ちましょう、と招かれました。学長は私たちをこのように諭されました。「 この分裂を悪魔に決して用いられないようにしましょう。和解して、お互いに愛し合わ なければなりません。今は、私たちにとって大きな学びの時です。この痛ましい戦争の 中で、様々な感情、異なる意見や立場にある私たちがどのようにして共に生活するのか 、このような時に牧師としてどのように主の召しに従うのかを問われる時です」、と。 多くの学生がありのままの思いを分かち合い、悔い改め、お互いに罪を告白し合い、和 解し、共に祈りました。その後、スティーブはこのように言われました。「主がキャン パスに働かれていて、またリバイバルが起こるかも知れないとさえ感じていた矢先のこ んな揉め事。サタンはリバイバル を何とか阻止しようとしたんだね。私たちが主の御 前で悔い改め、和解の時を持つことができたこと、主に感謝するよ。意見が人それぞれ 異なるのは健全なこと。けれどもそのことで揉めたりしたらダメだよ。神様の御国と聖 さを求めることが何より大切だから。さあ、この揉め事は澄んだことだ。気を取り直し て、またリバイバルを求めて祈っていこう」、と。スティーブは金曜日の夜にKingdom Prayerという祈祷会のリードをしていました。神学校と大学からの有志が、礼拝と讃美 、執り成しの祈りのために集っていました。2006年2月にアズベリー 大学でリバイバル が起こりました。定例のチャペルアワーから始まり、4日間にわたり礼拝、讃美、祈り と証しの集会がノンストップで続きました。 最近、米国は深く分断しました。私自身、色々と気を取られてしまいました。2021年の 秋の始めに、ニューヨークに住むK U C時代の親しい友人が家に泊まりに来ないかと誘 ってくれました。休暇中に滞在させていただいている間に、アズベリー神学校での思い 出が走馬灯のように駆け巡りました。和解のための礼拝、学長先生の愛のある諭し、ス ティーブの思慮深い言葉、神学校キャンパスでの金曜日の夜の祈祷会Kingdom Prayerの ことなど。直ちに主の御前に全ての罪を悔い改めました。ニューヨークに滞在中、主は 私を霊的な回復へと向かわせて下さいました。2022年の1月から、個人的、集団的な罪 の悔い改め、振り返り、定期的な断食と祈りの時期を過ごしました。このような背信の 時代の中、神様の恵みのうちにしっかりと信仰を貫きなさい、と聖霊に強く促されまし た。2022年の秋頃、1970年に起こったアズベリー・リバイバルについて勉強しているう ちに、かすかな希望が見えてきました。 2023年2月8日、神様は再びアズベリー のヒューズ講堂へと入って来られました。定例 の水曜日のチャペルアワーで、ゲスト説教者のザック・ミーアクリーブス牧師がこのよ うなチャレンジを持って説教を締めくくりました。「愛のある行動をとりたいなら、ま ず神様の愛を経験しなければならないよ」、と。数名の学生がヒューズ講堂に残って祈 るように聖霊によって示されました。さらに学生が加わりました。学生の多くがパンデ ミック、政治的分断、社会的な風潮によって困難な時期を過ごしていました。悩みを抱 える中、学生たちは神様の恵みの御業に応答しました。学生たちは主の御前に遜り、悔 い改め、お互いに罪を告白し、和解しました。夜までには1000人以上の大学・神学校の 学生と教職員たちが集いました。礼拝は夜通し続けられました。翌日の早朝、スティー ブがフェイスブックに投稿をしました。「主が只中におられる!私は昨夜、数時間、あ の場にいたんだ。主は霊的覚醒とリバイバルを求める民の叫びに応えようとされている 。私が1970年に学生としてあの場にいて、今は孫息子のアンドリューが同じ場にいる。 不思議なぐらい馴染みのある光景。まるでデジャブ。今、初めての経験なのに、以前に 同じような経験をしたかのような気がするよ」、と。 神様がヒューズ講堂に入って来られて以来、多くのアズベリー の学生が無力感、不安 感、鬱から、そして希死願望からさえ解放されました。彼らの経験はさらに多くのZ世 代(1990年代後半から2010年代前半に生まれた世代)に希望をもたらしました。様々な 学校から多くの学生がヒューズ講堂へと流れ込みました。ニュースは全米そして世界へ と伝わりました。リバイバルは他の大学にも広がりました。霊的に飢え乾く何千人もの 人々がヒューズ講堂に入るために並びました。キャンパスは様々な異なる背景を持つ人 によって埋め尽くされました。クリスチャン、求道者、学生たち、子供たち、アルコー ルや麻薬中毒者、年配者、様々な人種や文化的背景の人たち、異なる政治的な見解を持 つ人たち、裕福な人たち、貧しい人たち、と。彼らは主であるイエス様を礼拝するとい う共通の目的のためにヒューズ講堂に集いました。何千人もの人たちがイエス様を受け 入れて救われ、あるいは信仰へと立ち返りました。中毒者は立ち直り、精神的・肉体的 な癒しが起こりました。多くの人たちの間に和解がもたらされました。霊的(人為的) な操作をする人はいませんでした。礼拝をリードする有名人もいませんでした。有名人 はイエス様だけ!そして聖霊が甘美に濃厚に働いていました。まさしく、天国の前味で した。歓喜と讃美、絶えることのない礼拝。コミュニティーに住む人たちの平穏な日常 は突如として変わってしまいました。けれども彼らは変化を受け入れ、様々な奉仕を引 き受けました。ヒューズ講堂やお手洗いなどを掃除する人たち。食料を提供し、移動の ために運転を引き受ける人たち。訪問者をもてなし、他者のために祈る人たち。 アズベリー に行って聖霊の注ぎ掛けを直接経験する機会はありませんでしたが、ライ ブストリームを通して礼拝するうちに、私は長年経験したことがない程に心が不思議に 温まるのを感じました。主の摂理によって、フリーメソジスト総会は今年の7月に行わ れました(全米、世界から集う総会は4年に1回行われます)。フリーメソジストの監督 、教区長、牧師そして学生たちの多くがアズベリー リバイバルに関わり、私たちは聖 なる期待を持っていました。また、過去数年間、フリーメソジスト監督や多くの人が人 種間の癒しと和解のために祈りをもって関わっていました。実際に、聖霊と恵みに満ち た、歴史に残るであろう1週間となりました。数々の聖なる瞬間を経験しました。そし て初代のアフリカン・アメリカン監督が選ばれるという歴史的な瞬間に立ち会うことが 許されました。7月25日の夕拝で説教者がジョン・ウェスレーの言葉を引用しました。 罪以外のものを恐れず、神以外のものを求めない100人の説教者を連れて来なさい。そ の人たちが聖職者であるか、平信徒であるかを私は気にしない。このような人たちが、 地獄の根源を揺り動かし、この世に天の御国を造るのである、と。その言葉に強く打た れました。100人以上の人々が祭壇へと向かいました。私もそのうちの一人でした。 主の恵みによって解放され、思いと信仰が新たにされてシカゴに戻りました。これまで 想像したことがない程、大胆に主の愛を伝えることが出来るように、主は私を変えて下 さいました。もっと大切なことがあります。主は、再び私たちに働かれています。クラ イエントが祭壇に進み出て、主を叫び求めています。祭壇で祈り通すクライエントたち 。そのクライエントたちと一緒に跪き、共に祈る牧会チームの私たち。主がクライエン トたちの間に働かれています。彼らは証しをするようになりました。最近、離れた場所 にあるもう一つの男性シェルターで日曜日の礼拝を始ました。主はそのシェルターのク ライエントたちの心にしっかりと触れて下さいました。牧会チームは現在2グループに 分かれ、2つの場所で2つの礼拝を行なっています。アズベリー・リバイバル は続い ています。様々な教会や集会で主が大きく働かれている証しは絶えることがありません 。 K U Cの皆さん、ヘブル書著者の訓戒に共感される方もおられるでしょう。イエス様に これまで従ってこられたけれど、今朝、信仰的に落ち込んでいる方もおられるでしょう 。パンデミックは本当に大変な経験でした。家族や友人、同僚、教会の方と確執を抱え ている方もおられるでしょう。霊的に精神的に疲弊されている方もおられるでしょう。 一緒に注意深く考えてみましょう。私たちが経験する疲弊や確執、全ての問題の根本的 原因は何でしょう。霊的に無関心になることがないように用心しなければなりません。 ヘブル書著者は、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいな さい(ヘブル書12章2節)」と強く励ましています。神様の恵みにしっかりとしがみつ いていなさい、と勧告しています。満ち足りた神様の恵みに絶えずより頼むことが求め られています。この恵みについてヘブル書4章16節はこう記しています。「ですから私 たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りにかなった助けを受けるために 、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」世の中の騒ぎ、心配事、ソーシャ ル・メディア、他人の意見、自らの思い、エゴ、自らの好き嫌いにと、ありとあらゆる ことに振り回されてしまわないようにしましょう。私たちを導いて下さる聖霊の働きに より頼みましょう。パウロは第一コリント2章12節でこのように言っています。「しか し私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たち は、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです」、と。1905年のアズ ベリー・リバイバルに関わったE・スランレー・ジョーンズ師(インドで活躍したアメ リカのメソジスト派の宣教師)はこう言われました、「聖霊に満たされていなければ、 人間の精神は衰える。」 聖さとは、神様が私たちの内に行って下さる恵みの御業のことです。聖さを追い求める とは、神様の恵みの御業に応答することなのです。信仰を活性化する聖め。信仰に生気 を与える聖めによって、霊に燃えるようになります。先ほど、神様の恵みの御業に応答 した時に起こる力強いケースを見てきました。アズベリー の学生がチャペルに残って 神様の恵みに応答することを選んだ時、神様はご自身の御霊を注いで下さいました。 学生や教職員が共に平和と聖さを求めました。霊的、精神的な疲弊を感じている学生も いましたが、神様の恵みを握りしめて離しませんでした。神様は学生たちにご自身の麗 しさをヒューズ講堂で仰ぎ見ることをお許しになりました。そこにいたアズベリーの学 生たちの人生は変えられました。神様はアズベリー ・リバイバルをもたらすために学 生たちの応答を用いられました。そればかりか、神様は彼らの応答を用いられ、聖書的 ホーリネスを全土に広げ、数え切れない程多くの人々の人生を変革し、歴史の方向性を 変えられました。 愛するK U Cの皆さん、メッセージを締めくくるに当たり、二つの問いかけを残したい と思います。まず、神様の恵みの御業にあずかっていることに気づかれていますか?主 の皆さんへの思いをご存知ですか?私たちにはこのように祈ることがよくあるでしょう 。主よ、あなたに誠実に仕えることが出来るように助けて下さい、どうか私に人々を愛 する心を下さい、どうか苦手な人たちをも愛することが出来るように助けて下さい、と 。けれども、主の愛が心に沁み渡っていますか?イエス様の死は我がためなり、と実感 されていますか。主の愛を実際に経験することなしに、私たちは主と他者を愛し仕える ことが出来るでしょうか?聖霊によって皆さんの心に神の愛が注がれますように(ロマ 書5章5節)。二つ目の問いです。神様の恵みの御業にどのように応答されますか?日 常生活を通して、ミニストリーを通して、K U Cファミリーとの関係において、家庭生 活や結婚生活の中で、友人関係の中で、職場や学校でどのように神様の恵みの御業に応 答されますか?主の前での悔い改め、誰かと和解し、変化を起こさなければならないか も知れません。誰かのために一層努力をするか、一歩踏み出して奉仕をすることが必要 かも知れません。神様から与えられた人生目標に向けて進むべき時かも知れません。今 週そして今後、主と会話し、これらのことを神様の恵みのうちにぜひ熟考してみて下さ い。 |
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May 2024
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