今月のテーマは、キリスト教が受け継ぐもの、遺産です。我々の近代国家に聖書的世界観がどの様な影響を与えたかという観点から今回の遺産の主題を取り上げたいと思います。神戸ユニオン教会(KUC)創立から150年を迎え、日本という中でKUCはひときわ長い文化遺産であり続け、私もその1/6の時間を教会と何らかの形でつながっています。私が初めてKUC に来たのは約 25年前で、その時私は 礼拝でお話しされるHugh Ross氏をお連れしました。次に来たのは、私が関西に引越しした2007年になります。そんなずいぶん前にどれくらいの方々が教会に来られていたでしょう、皆さんの手が私に見えるなら手を挙げていただきたいです。ここでの信者の交わりの出入りは激しいので、そんなに多くの方は残っておられないでしょう。私は2008年にジェラード・マークス牧師、ブルース・ブラッドベリー牧師が来るまで数ヶ月暫定牧師を務めました。 そして、2016年に定年退職して関西を去るまで、私はゲストスピーカーとして、或いは評議会の奉仕など、様々な立場において奉仕しました。 そして今、オンラインサービスで、私もこのデジタル設備を通して貢献しています。
しかし、私のメッセージの残りのお話は、神戸からユダヤ・キリスト教の遺産に広げ、それが世界にどのような影響を与えたかと展開していきたいと思います。同様に、私達が生きるためにこの世界を創造された神の計画と目的、及び神が私達のために思い描く特性へ成長することに結びつけたいと思います。これについては多くの捕え方ができますが、特に苦しみの中にある忍耐の美徳について注目していきたいと思います。この説教を聞くことが、皆さんの「苦しみを忍耐する」ようなことにならないよう願っています。ヤコブが書いた素晴らしい書簡を通して神様の励ましの御言葉を皆さんに届けることができますよう願っています。 今朝の聖書朗読箇所から生じる2つの疑問は、なぜ耐え忍ぶことと神の時を待つことが私達にとって益なのか、及び私達が神様を待つ間「互いに文句を言い合う」べきでないのはなぜかということです。 これらの問題を考え始めるに当たって、まず「世界観の認識」の概念とそれが何を意味するのかを紹介することから始めたいと思います。皆さんのほとんどが少なくともこの用語を聞いて、それが何を意味するのか漠然とした理解をお持ちだと想像します。 基本的に、自分自身の世界観は、人が世の中で経験を積むうちに、世界を理解しようとするために無意識のうちに使う哲学的思考の枠組みです。それがその人の実際の「世界の見方」です。 たとえその世界観が何であるかを意識しなくても、自分の世界観を他の誰かに説明できなくても、誰もが世界観を持っています。何が現実なのかの理解を組み立てていくために何らかの整理された原理原則を使わざるを得ません。この作業は、もちろん出生から、それ以前でさえ、徐々に発達し成熟するにつれて更に複雑になります。私達の中でもたとえどんなに慎重な考え方をしていても、その人の世界観にはある程度の矛盾を含んでいるものです、なぜなら人間は決して現実の全てを理解できないからです。 同様に、簡単なことではありませんが、世界の現実に起きている事態を矛盾なく説明できる何かに出くわすと、人は自分の世界観をがらりと変えることさえできると言うことも抑えておきましょう。すなわち、キリスト教への改宗とは、あなたがキリストを初めてあなたの主、救い主として受け入れた時、あなたの世界観は根ごそぎ変革を強いられたでしょう、少なくともそうなるべきです。もちろん、私達は皆「世俗的な世界観」を宿すために、時に真の聖書の世界観を汚し妥協するので、実際この聖書の世界観を達成には一生かかることでしょう。 世界観を導いた基本にさかのぼると、古代の世界にはたった2つの基本的な世界観しかありませんでした。その2つとは、聖書的世界観と他に良い呼び方がない「古代の世界観」です。もちろん、いろんな「古代の世界観」がありますが、共通する考え方は、物質の世界と神々の世界の間に連続性があると言うことです。全ての自然現象、人間社会で起こる出来事も神々の世界を投影したにすぎず、神々によって、或いは神の見えざる領域で起こった出来事によってコントロールされていると言うのです。古代ヘブライ人以外の全ての古代の世界観は、多神教的に順応していました。古代ヘブライ人でさえ、神が預言者達を通して彼らに明らかにしていた聖書の世界観と折り合いをつけるのに苦労して、しばしばその多神教モードに引きずり込まれていました。 聖書の中で明らかになったのは、唯一の実際の神がおられ、唯一の神は彼が創造した世界から完全に超越したところにいると考える世界観でした。もちろん、神は、神が創造した宇宙のいたるところに臨在されていますが、その創造物内に限定されたり、制限されたりすることはありません。神は宇宙ではなく、宇宙は神ではありません。神は目的を持って物質世界において全てを創造されました、そしてそれは古代世界観とは異なります。古代世界観は、時間を自然の繰り返しに似た周期的にめぐるものと見なします。聖書の世界観は、時間を、神があらかじめ決められた目標に向かって、原因と結果が織りなす直線的な前進と見なします。 古代中近東(メソポタミアあたり:訳者挿入)の様々な創造神話は、原始的な荒唐無稽な怪物の空想的な物語を含んでいました。神話は様々な神々や女神を生み出し、またそれが人間を作り、この世にある程度の秩序を生み出したとされています。今日では、聖書の創造物語が「神話」と呼ばれるのをよく聞きます。あなたがその言葉(神話)を大きく広義に捉えるならば、私は特にこの用語に反対しないでしょう。実に、日本語の「神話」「しんわ」という言葉は文字通り「神の話」という意味で、その意味で創世記は間違いなく「神の話」です。それにもかかわらず、今日英語の「神話」という言葉を使うとき、私達は一般的に現実に根拠のない創作物語を意味します。そして、創世記は確かにそうではありません。 創世記の物語は、古代イスラエルの周辺にあった他の創造神話とは根本的に異なります。確かに「善悪の知識の木」や「命の木」など、神話のようなシンボルを用いていますが、創世記は他の古代の物語とは全く異なる方法で創造を描いています。一つには、創世記は、実際の空間と時間における特定の出来事の観点から創造を描いており、「昔々あるところに云々・・・」の様な歴史ではない原始的世界とは対照的です。エデンは、中近東、或いは北東アフリカの広い地域のどこかに本当の場所がどこにあるか解明されるつもりでしたが、現代の地図上でどこであったのかははっきりとは分かりません。そして、近代科学の見地から私達が理解するのは難しい物語の側面がありますが、創造のシナリオの全工程は、自然界の研究から私達が真実であると分かっている範囲内と非常に一致しています。最も顕著なのは、もちろん、私達が知っているように、神が時間の初めに「話す」ことによって全てが存在し、無から宇宙全体を創造したという聖書の主張です。1900年代初頭の科学は、古代の創造神話と同じことを述べていました。つまり、宇宙が永遠であり、今日の私達の世界は既存の物質から発生したというのが当時の科学の見解でした。 (もちろん、様々な神話の荒唐無稽な怪物などはありませんが)。 しかし、今、私達は聖書の創造物語についてずっと正しかったことを知っています。 空間と時間とそれに含まれるすべての物質と内在するエネルギーに明確な始まりがあり、その始まりははっきりとした理由もなく無から有を生じたのです。だから私達が測定したり、科学的に或いは物理的に理解でき納得できるようなものではありません。それが言わば、宇宙の起源のための「ビッグバン」(宇宙の始めの大爆発:訳者挿入)理論の本質であり、(すべての証拠が指し示す)「ビッグバン」があった場合、それは「ビッグバンガー」(宇宙の始まりといわれる大爆発を起こさせた人:訳者挿入)がいたに違いないと続くのです。その成果を説明するのに十分な力ある何らかの存在が、私達の宇宙に居ると言うことです。聖書の神だけがその説明に当てはまります。 同様に、現生人類の起源に関する最近の理論は創世記の物語の理論に驚くほど近づいてきており、全ての人間の共通する祖先が持つ2つの前駆細胞は「ミトコンドリアイブ」と「Y染色体アダム」と呼ばれています。おおむね科学事業を支える人々(以前の既存の動物から徐々に進化したと信じる必要がある人)は自然主義に深くこだわりを持っていますが、実際、それらの証拠は聖書モデルによってはるかに簡単に説明されます。つまり、現代人は、中東や北東アフリカの広い地域のどこかで、最近(50年または10万年前くらいの年数で)現場に突然現れました。 聖書の世界観によって世界に残された遺産について考える中で、私は聖書の世界観と他のすべての世界観(何らかの古代多神教や近代科学の自然主義)との間にある基本的な違いが重要であることを十分に強調せざるを得ません。聖書の世界観がこの世に現れなかったとすると、私達の世界が今日どれほど異なるか推測しかできませんけれども。はじめから聖書の世界観が土台となる様々な制度や概念を思い量ると、それらが欠けるならば、違いは非常に重大になると思います。歴史的証拠は、私達が現代の世界で当たり前と思っていることの多く起源は、創世記とその他の聖書のおかげであることを証明しているではありませんか。 数年前にベイラー大学の社会科学者、ロドニー・スターク氏が「理性の勝利:キリスト教が自由と資本主義と西洋の成功をどうもたらしたか」と言う画期的な本を書きました。そして、彼は多くの証拠を通して、その結論の裏付けをとっており、私は心底彼に同意しています。彼は次のように述べています。「キリスト教が西洋文明を作り上げたのです。イエスを支持する人々が人目につかないユダヤ教の宗派という狭い枠組みを突破しなかったとすれば、皆さんの殆どは本を読める能力を身につける教育を受けていないし、字を読める人であっても、手書きの写本しか手に入らないでしょう。進歩、そして道徳的平等に熱心に取り組んだキリスト教の神学がなかったとすれば、結果として今日の世界はおそらく1800年頃の西洋以外の社会のままだったはずです。占星術師や錬金術師は存在しても科学者は存在しない世界のことです。独裁者に支配される世界で、大学、銀行、工場や眼鏡なども存在しない世界だったでしょう。多くの新生児が5歳まで生きることなく、多くの女性が出産によって死を迎える、全くの「暗黒時代」に生きていると思われます。近代社会はキリスト教社会の中にだけ生じました。イスラムやアジア、また、まだどこにも存在していなかった「世俗的社会」においてではありません。キリスト教社会以外で生じた近代化は西洋からの輸入で、しばしば開拓者や宣教師たちによって持ち込まれたことでした。 言うまでもなく、スターク氏の結論は多くの議論を呼び起こしています。けれども、彼は多くの証拠を通して、その結論を裏付けています。なぜそういうことを断言できるかを簡単に紹介しましょう。近代科学の誕生は、聖書の世界観と密接な関係があります。聖書の世界観の基本的原理を前提として考えていなかったとすれば、現代社会を可能にしている近代科学は生まれてこなかったはずです。基本的に私達のすべての現代の技術とそれが支える社会に関わる近代科学の誕生の例を見てみましょう。現代の世俗的な科学者は、自分の研究は神や聖書の世界観と全く関係がないと思い込んでいる人が多いのですが、日々の科学に携わる中ではその関係が見えてこないのも分かります。しかし、聖書の世界観が前提として存在していなかったとすれば、科学そのものは決して誕生し得なかったということです。 それはどういうことかと言うと、自然界は唯一の創造主によって設けられた合理性のある論理的法則によって支配されているという見解があって初めて、自然界を理解しうるものだという認識が生まれてきます。古代から存在していた他の全ての世界観では、自然現象は神々によって支配されている、あるいは目に見えない神々の領域で起きている出来事の結果であると信じていました。したがって、人間は実際に自然の領域を制御する法則を解読し、それらの法則を利用して自然を理解し、将来何が起こるかを予測できるという考えは、聖書の啓示以外の誰にも何処にも起こらなかったのです。このような考えは基本的な古代世界観の対極にあるものでした。 聖書の世界観においては、神が空間と時間に介入し超自然的な奇跡を起こされる時以外、原因と結果は完全にこの世の中にあるので、それらの法則を学び、理解することができます。しかし、古代に存在していたその他の全ての世界観においては、原因と結果は分離されていました。私達人間はこの世界で結果を見ることができますが、原因はこの世界の外側、つまり目に見えない神々の領域にあると信じていました。そのため、原因は人間の理解を果てしなく超えるものと考えていました。 当然、古代日本にもこの考え方があり、気象の例をとってみましょう。日本語の「天気」という単語は2つの文字からなっています。「天」(神々)の「気」(気分)です。この言葉の成り立ちの背景に、お天気は神様の気分次第で、気象の神がその時にどんな気分であったかにその日の天気が左右されると言う考えが土台となっていました。 嵐やうっとうしい天気は、気象の神が何かに気分を害した結果、或いは他の神々との闘いのためなので、唯一、人ができることは、怒っている神々にいけにえを捧げ、魔法の儀式(雨の踊りなど)でなだめようとすることです。おそらく、この夏の天候は、気象の神が酒を飲みすぎて、酔っぱらったので、長雨となったのでしょう。とにかく、このような世界観が、どんなに近代科学をスタートさせることを阻んだだろうと気付くのに深い洞察力はいらないでしょう。これが、キリスト教世界以外の古代社会が科学的思考を発展させなかった理由です。 キリスト教ヨーロッパの16世紀になって初めて、近代科学の誕生のためのすべての前提条件が一同に押し寄せ、その主要なものは聖書の世界観でした。だからこそ、本質的にすべての初期の科学者は敬虔なキリスト教徒でした。科学は聖書のルーツを放棄する傾向がありましたが、それは単に本当の歴史を知らない人々によって社会に吹き込まれたかなり最近の出来事なのです。 さて、今まで、この説教は少し大学の講義のようになりましたね、それで私は聖書朗読の箇所に戻りましょう。特に世界観の観点から、今日の私達にヤコブの言葉がどのように適用されるかをお話ししたいと思います。この説教の冒頭で提起した質問、「なぜ耐え忍ぶことと神の時を待つことが私達にとって益なのか」に戻ります。それを理解する鍵は聖書の世界観にあります。そもそも私達はなぜ存在するのでしょうか? それは、神が特定の目標を念頭に置いて、私達を御自身に似た者として創造されたからです。 私達は、肉体を持つ人生が終わった後に永遠に存在し続ける永遠の存在です。地上での私達のこの時間は、神がこの宇宙の目的が完了する「新しい天と新しい地」において起こる私達の永遠の命のために、神が念頭に置いていることを、私達に準備させることを目的として与えられたのです。無神論主義者は、神がいなければ、私達の肉体を持つ一時的な人生はそれが全てであると見なし、人生を非常に異なって見ています。つまり、一度死ぬと、それはあなたの意識的な存在の終わりだからこそ、人生であなたは「それなりの分け前」を得ることが最重要事項となるのです。同様に、あなたの短い人生の中であなたに起こることは、超重要なことと受けとめます。しかし、永遠の命の観点から見ると、私達が生きるこの短期間に何が起ころうとも、それはいささか些細なことなのです。しかし、人生の出来事が全てであるならば、それが実に人生で最重要となるのです。 私は、聖書の世界観が、私達の人生で起こる出来事とそれらの出来事に対する私達の応答は、明らかに重要ではないと言うつもりも暗示するつもりもありません。ただ、この人生がすべてだと思っている人とは大きく異なる見方をすることができるのです。「無神論聖書」(そのようなものがあった場合)は、「忍耐強く、しっかり立つ」と言うことができるでしょうか。またその理由として「主がすぐに来られるので」と言えるでしょうか。そもそもすぐに来る「主」がいないので、「主が近づいているので」という理由を付け加えることができませんね。この世の世界観では、それはすべてあなたに依存し、多くの個人的な出来事はあなたがコントロールできない範疇にあり、それはとにかくすべて「予測できない運任せ」となります。人生はくじ引きの運任せで、平等や公正ではありません。悪いことは起こり、ついてないだけです。実際、悪事と苦しみの問題は、聖書が描写する神を拒絶する主な理由となり、無神論者が持ち出す議論です。彼らは、もし全能で力ある神が本当におられるなら、彼がそんな悪事や苦しみを許すはずがないと言います。今朝このことを掘り下げるには時間が限られていますので、「忍耐する」ことの真の意味についての話に焦点を当て、それに戻りましょう。 私達は、聖書的で一神教的な世界観と、多数の多神教、古代世界の他のすべてを構成する神話的な世界観との対比から始めました。これに、私は第三の選択肢として比較的最近の無神論的世界観を追加しました。実際、この3つは、神や神々の存在に関しては唯一ある選択肢です。全く存在しないか、唯一神がいるか、複数の神がいるかのどれかです。それでは、この3つの観点の考え方から「忍耐」が何を意味するのかを見てみましょう。 無神論的な観点から、忍耐強いのは断然に実践的です。あなたが望むものを獲得するための手段としてのみ忍耐をします。その忍耐は美徳ではありません。正にガラテヤ5:22 に記載されている、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と一緒に育つ「御霊の実」ではありません。ここ数年は地上に存在するのですから、あなた自身の必要と欲求に焦点を当てます。自己犠牲について、自分の人生からの「公正な取り分」が差し引かれたと感じるため、やる気が起きないでしょう。無神論者は、彼が他人のために犠牲を払って満足を得ると主張するかもしれませんが、そうすることは、そのような美徳が無神論者の世界観に合理的な根拠を持たないので、単に聖書の世界観から借りているだけです。 もう一方の端では、多神教的な観点からの「忍耐」は単なる運命論的です。ヒンズー教がその良い例です。人生における自分の立場(あなたが生まれたカースト)と人生であなたに何が起こるかは、前世からのあなたの「カルマ」によるものであり、「忍耐強い」ということは、人生のカーストを受け入れ、それを変えようとせずにそれを最大限に活かすことを意味します。倫理は全く相対的であり、神々の多様性は世界が倫理的基盤を持つと信じることを難しくします。一つの神に喜ばれる行動は、他の神にとって不愉快になることはほぼ確実です。なぜなら、様々な神々が異なる願いと欲望を持っているからです。どの一つの神も宇宙を生み出してくださらないので、特定された神の神性は宇宙に反映されません。 これらの両者(無神論的と多神教的な世界観)が聖書の世界観と何と異なっていることでしょう。神の本質は、神が創造したものに反映され、それは倫理と美徳の基礎となるのです。神が最も反映されているのは人間です、それは、神が「神に似た者」として創造された唯一の生き物が人間だからです。忍耐に関しては、私達の模範は神です。神の人類に対する忍耐は、どれほど信じられない忍耐を要しておられるか。反抗的な人間によって呼び起こされた様々な神々は、私達人間と同じように、特に短気です! しかし、主は信じられないほどの愛だけでなく、「私達がまだ罪人であったとき、キリストが私達のために死なれたことによって、」という意味で、私達のために神は信じられないほどの忍耐を示しました。これが、私達が「忍耐強く」ある最たる理由です。神が最初に私達を愛された」と言う理由で私達が神、隣人を愛するだけでなく、私達は互いに、「互いに文句を言い合う」のではなく忍耐強くあるべきなのは、神が最初に私達に忍耐強くあられたからです。 ヤコブが「文句を言う」という言葉を使ったとき、彼は荒野での経験の中でイスラエル人の「神に対する不平」を念頭に置いていたでしょう。もし彼らがエジプトから出てきた直後に「約束の地」に入る準備ができていたら、神は彼らをカナンにまっすぐ導いていたでしょう。しかし、彼らは準備ができていなかったので、神は最初に砂漠をさまよう40年間を通して神に依存することを教えなければならなかったのです。これこそがすごい忍耐のいることです。同様に、神は永遠の王国で私達一人ひとりが生きるために、この世で私達それぞれを準備しています。「忍耐強い」と「主を待つ」は、神が忍耐の中で、私達一人ひとりに育てようとされている多くの美徳の一つです。 今朝はここまで掘り下げることができましたが、時間切れとなりました。そして、旧約聖書の預言者とヨブを「苦しみの忍耐」の良い例としてヤコブが触れた後の言葉で閉じたいと思います。ヤコブは段落を「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」でくくっています。何と、何度もこの言葉を聞くようにしたいですね。弱くて短気な私に対して、神のあわれみと慈愛ゆえに、本当に神が私に忍耐強くされているのです。私は若い頃より、今はより忍耐強いと思いますが、まだまだ道のりは遠いです。そして、皆さんの多くも同じように感じておられるでしょう。私だけでなく、あなた自身もきっと同じように感じておられるでしょう。そして、終わりに際して、その言葉「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」をしっかりと心に刻みましょう。それはまさに神の神格の一部であり、神が私達の中に養おうとされている実でもあるのです。 私達の最後の賛美歌として、私は「Be Still, My Soul・安かれわが心よ」を選びました。最初の節では, 「安かれわが心よ 主イエスは ともにいます」の宣言の後、「痛みも苦しみをも 雄々しく 忍び耐えよ、主イエスの 共にませば 耐ええぬ 悩みはなし」と私達を励ましています。もちろん、私達が必要としているのは、一般的に忍耐の徳を学ぶことです。それは、神を待つことを学び、私達一人ひとりにおける神の偉大な計画の時を待つことを通して実るのです。「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」ので、私達はそれが出来るのです。皆さんが、神が愛、喜び、そして御霊の他の実とともに、あなたの魂の中で忍耐を育むことを願うように、そのあわれみと慈悲を経験することができますように。 皆さん一人ひとりに対する神の最も豊かな祝福がありますようにお祈り申し上げます
0 Comments
私たちは聖霊によってひとつ
私たちは主にあってひとつ ひとつであることを いつの日か再びそれが成ることを 祈ります。 人々は私たちの愛によって 私たちがクリスチャンであることを 知るでしょう。 おはようございます。おそらくたくさんの方がこの歌をご存知でしょうね。これは70年代後半に作られたのですが、今でも歌われています。 9月のKUC日曜日の礼拝では、教会150周年を記念して、神戸ユニオンプロテスタント教会の歴史、伝統、遺産、歴史的な私たちの本質、などを聞き、学んできました。私は少し関心を狭め、「神戸ユニオン(プロテスタント)教会」という教会の名前に注目し、この「ユニオン」という言葉がクリスチャンにとって、そして私たちにとってどのような意味をもつかをお話してみようと思います。 実は教会がひとつであること、あるいはキリスト教がそうであること、というのはクリスチャンにとってとても大きな問題でした。今日の聖書の箇所でも伝えられたように、最初期のクリスチャンの間にも分裂がありました。私はアポロに、私はパウロに、私はキリストに! アポロはパウロの同僚で、宣教師としてコリントの教会にキリストの福音を伝えたひとりのようです。しかしそれは彼の考え方によるもので、パウロの理解とは少し違っていました。ガラテヤの信徒への手紙でも、パウロはイエスの兄弟ヤコブに反論していますし、ガラテヤの教会のあるひとたちにむかって「ばか者!(日本語新共同訳聖書では『物わかりの悪いひとたち』)と呼んでいます(ガラテヤ3:1)。 それ以後、キリスト教はなんとかそれがひとつであろうと苦闘してきました。でも西洋史の年表を見ると、西欧の教会、主に、ローマを中心とするカトリック教会ですら東欧の教会、現在でいう正教会と分裂しました。このカトリック教会に対してプロテスタント運動がおこり、その運動は多くのプロテスタント教派、団体、セクトなどにさらに分かれました。 この八月中、私はもっとも怠惰な夏休みを過ごしました。コロナのこともあり、大雨もあったことでずっと家におり、ケーブルネットテレビで、イギリスを舞台にした連続ドラマを観たり、読書三昧の毎日でした。そのなかで、宗教、細かく言えばキリスト教で、どの教派に属しているか、ということがどのドラマでも大きな問題となっていました。そしてその問題は、国家的、民族的なレベルにおいても、個人的なあるいは家族にとっても重要でした。 また、イギリスの貴族一家を描くダウントンアビーというテレビドラマで、そこに登場する三人姉妹に焦点があてられます。その三女は、家のお抱え運転手であるアイルランド人でカトリックの信者である若者との結婚を決意します。二人の社会的身分の違いとともに、キリスト教的な違いが家庭内で大論争となり、二人の間の子どもはカトリックとして育てるか、プロテスタントとするのかで、家族での対立も生まれます。他方長女はユダヤ教徒である青年と結婚します。そうなるとイギリスの貴族家系の伝統はどのように次の世代に継承されるのか、ということになります。家族みんなはクリスチャンなのですし、ユダヤ教徒もまたヘブライ語の聖書に親しんでいるのですが。 神戸ユニオン教会についていえば、その設立者はD.C.グリーン牧師で、彼は神戸居留地にあった最初の礼拝堂を設計しています 、それは現在の大丸神戸店の隣でした。彼はもともと組合教会の宣教師でした。木曜日の夜の聖書研究会のときに、同志社大学京都今出川キャンパスの話題になり、そこにやはりグリーン牧師が設計された古い礼拝堂が残っており、それを見ると初期の神戸ユニオン教会がどんなものであったのか、想像することもできるでしょう。彼の属した教派の組合派(会衆派)はプロテスタント四大教派のひとつですが、カトリックでもアングリカン(聖公会)とは違っています。ですから彼が新しく教会を設立し。「ユニオン」を名乗ったにしても、それは1870年に創立された現在のカトリック中央教会(前カトリック中山手教会)とも、1887年に伝道が開始された聖公会聖ミカエル教会とも別のものでした。ですから「神戸ユニオンプロテスタント教会」という名前は、私たちはカトリックでも聖公会でもありません、ということを表明しているのです。 個人的なことですが、私の家族のキリスト教の教派的な背景を申し上げると、私の祖父はバプテスト教会の牧師でしたが、組合教会で最初の女性牧師となった祖母と結婚しました。その二人の娘である私の母は、改革派教会の牧師であった私の父と結婚をし、その次男の私はメソジスト派に由来する関西学院大学神学部で学びました。さて、私はどの教派に属しているのでしょう? そうなんです、神戸ユニオン教会の会員のみなさんも実は同じ状態なのです。神戸ユニオン教会は、最初は英語およびドイツ語を話す、訪日、在日の方々のための教会でした。 神戸ユニオン教会での教会生活でひとつの大切な点として、私がお勧めしたいのは「お互いを聞きあい、神に祈る」ということです。なぜなら私たちは神の同労者、「神のために力を合わせて働く者」(コリント一3:9)だからです。私たちは自分自身のためにではなく、神様の働きのためにクリスチャンであるのですから。この点でもうひとつ聖パウロのことばを引用しましょう。「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、」(エフェソ2:14)。 言葉をかえると、神戸ユニオン教会は、世界に対し、社会に対し、地元に対し、そして世界のクリスチャンすべてのために、私たちが一つ(ユニオン)であることによってキリストの平和を求め続ける教会です。「私たちは聖霊によってひとつ、私たちは主にあってひとつ」と歌いながら。 祈りましょう:憐れみに満ちる神様、どうぞ私たちの視線をあなただけにしっかりと向け、私たちをキリストのひとつの体であることができるようにと、あなたの励ましと導きをお与えください。私たちは常にお互いの証の声に耳を傾け、ときには信仰的に困難と思わされるようなそれぞれの違い、それを私たちの特権として与えてくださったあなたに感謝するものとならせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン 祈りましょう。主よ、あなたの言葉は私たちの足元と道を照らす灯火です。聖霊の働きによってお言葉を賜りますように。イエスの御名によってこの祈りを捧げます。アーメン
先週のクローディア先生の説教にもあったように、今月の説教テーマは「私たちのゆずりの地(嗣業または相続地)」です。今年は教会が150周年を迎える記念の年ということでこのテーマを選びました。 コロナ禍で大変な状況ではありますが、150周年記念委員会が結成されて教会の歴史資料を収集し、記録として保管し、ウエブサイトに載せました。 教会のホームページにこの記録を見ることができます。画面右上の「MORE」から「150th Anniversary」をクリックしてください。そこに教会の歴史が載っています。歴代の牧師の名前があり、良いときも悪いときも時代をくぐりぬけてきた教会の姿を、当時を知る教会員の話から知ることができます。 教会の歴史をもっと知りたい人は、ウエブサイトの150th Anniversary にあるビデオを見るか、あるいはまた田淵先生に聞いてみてください。田淵先生は教会の歴史を学ぶ集まりを、コロナ禍以前の日曜礼拝の後で開いていましたし、昔の神戸ユニオン教会が建っていた場所を見学するツアーも企画していました。現在の教会建物は、150年の歴史の中で三か所目となる場所にあります。 先週クローディア先生は、神戸ユニオン教会の建物が破壊され、建物がほとんど残っていなかった時代があると説教で話されていました。教会は単に建物としての物理的存在を指すだけではないことを私たちは承知しています。一方で、教会建物が実際に避難所となったとき、神がどういうお方なのかを教会以外の人々に明確に示すこともあります。それは詩篇で語られているように神が私たちの避難所であるのと同じように、教会建物が地域の人々の避難所になったときです。 過去にKUCは、安全な避難所としての役割を担ったことがあります。1995年の阪神淡路大震災でほとんど被害を受けなかった神戸ユニオン教会の建物は、家を失った人や大きな被害を受けた人を受け入れる避難所となりました。教会には救援物資や食料が届けられ、物資の集配拠点でもありました。 ある教会員の人が、教会は日曜ごとに世俗の事柄から解放され、神にのみ集中できる貴重な場所だと言っていました。このように精神的にも教会は安全な避難場所ですが、それ以上に教会というものは迫害、虐待、差別に遭っている人、例えば外国人少数派などで社会的に疎外され、抑圧されている人の安全な避難所になります。 教会の役割はたくさんありますが、そのひとつはKUCがしてきたように、安全を求めて逃れてきた人に避難所を提供することです。そうは言っても、KUCが避難所になれなかった時代がありました。 1941年日本がハワイの真珠湾を攻撃した日、当時の神戸ユニオン教会の牧師であったハリー・マイヤーズ牧師は逮捕、拘留され、その後捕虜収容所に送られました。そして、後に数人が脱走できたものの、何名もの教会員が収容所に送られました。神戸ユニオン教会は牧師と多くの教会員が不在となり、避難所、保護施設として機能できませんでした。KUCは教会建物を共有するドイツ語教会に助けを求めました。 当時のドイツ語教会の牧師はリーマー・ヘニング牧師で、彼がKUCでも月2回の説教を行いKUCの会衆を導きました。ドイツは日本の同盟国だったのでドイツ語教会の会衆が増えていく一方、KUCの人数は急激に減りました。 この困難な時代にあって、拘束されたメイヤーズ牧師と教会員たちは収容所の中でもキリストの光を分かち合い、神の善を称えていました。 当時の教会事務員でありオルガン奏者でもあったカドタミオコさんが語っていますが、「好きな聖書句を暗記するように」とメイヤーズ牧師が言っていたそうです。「そうすれば困難にあるとき、聖書句はいつでも私たちを助けてくれるから」だと。 (https://www.evkobe.org/deutsch/150th-anniversary-of-kobe-union-church/mioko-kadota-memories-during-december-1941-and-1945/) 捕虜収容所にいたKUCのメンバーで、以前教会から経済的援助を受けていた人が何人かいました。1942年のクリスマスの時期、彼らはその金額のうちのいくらかを教会に返し、困っている人を助けるために使ってほしいと言いました。 カドタさんはそのお金を持って区役所へ行き、夫、父親、息子など一家の稼ぎ手を戦争で亡くした家族の名前を調べました。区役所の人たちは、困っている日本の家族を助けるために、戦争をしている敵国の人がお金を出したことに驚きました。 カドタさんは、困っている人を助けてクリスマスの喜びを分かち合うのはキリスト教徒の伝統なのだと区役所の人に説明しました。そしてカドタさんは、金銭を均等に分けて、お金が必要な30世帯の家族に渡しました。 戦争は続き、日本本土に空襲が始まりました。神戸を含む日本中至るところに爆弾が落とされました。教会も空襲から逃れられませんでした。記録によると、次のように書かれています。 「1945年3月5日、B29爆撃機の落とす爆弾が神戸を襲った。6月5日午前5時30分、二回目の空襲で神戸の商業地区は壊滅し、教会は数発の焼夷弾の直撃により火災を発生した。水道管が破壊され消火用の水が出ないので、教会管理人はなすすべもなかった。火災が収まったのち残ったのは、礼拝堂のと、談話用広間のコンクリートの内壁、それに牧師館の二階部分だけだった。終戦のわずか70日前だった」。 (https://www.evkobe.org/deutsch/150th-anniversary-of-kobe-union-church/90-years-of-kobe-union-church-iv-trial-by-fire-during-war-1942-1956/ and “Kobe Union Church 1871-1989 On the 60th Anniversary of The Ikuta Cho Building) そして終戦後、意外にも教会は建物を再建しようとしませんでした。礼拝は続けていましたが、屋根のない空の下で行っていました。冬が来ると牧師館だったところの一室に集まって礼拝を行いました。(モース・サイトウによるKUCの歴史から) 記録によると教会の再建費用は非常に高額でしたが、再建しなかった理由は金額の問題ではありませんでした。ほかのユニオン教会は、日本政府から得た戦争賠償金を使って再建をしていました。(モース・サイトウによるKUCの歴史から) 神戸ユニオン教会がすぐに再建をしなかったのは、再建する手段がなかったからではなく、教会員たちが教会再建よりも、まず日本の人々の生活の再建を優先したいと考えたからです。 記録は次のように記しています。戦後、「およそ70パーセントの人が潜在性結核も含めて結核に感染している」。「ぼろ布のような古い軍服や学校の制服を着ている人が多い。バナナ一本の値段が一日分の賃金と同じである」。(モース・サイトウによるKUCの歴史から) 日本人がこのような状態であるときに、教会再建のための費用を日本の国からもらうことはできないとKUCの人たちは感じていました。そういうわけでKUCの人々はその後6年間、壊れた建物の内や外で礼拝を続けました。それでも教会の息吹は消えませんでした。 人々は建物が破壊されても神に仕え、神の人であることをやめませんでした。1947年までには女性支援グループが結成され、日曜学校もできました。1952年までに男性グループができ、1956年までには働く女性グループ、土曜夜のグループ、クワイアができました。 「困難な時に、真の人間性が現れる」と言います。毎日が幸福でバラ色なら誰でも楽に生きられるし、善良に振舞い、信仰を保ち、よいクリスチャンでいることも難しくありません。生活費の心配がなく、心に余裕があれば、イエスは主であると苦も無く言えます。主がこれらのよいものをすべて備えてくださったと思うからです。しかしそのすべてのよい物が無くなってしまえばどうでしょうか。家や自分を守ってくれていたものがすべてなくなり、安全や安心が剥ぎ取られた場合にどうなるでしょうか。 第二次世界大戦中の教会員と牧師のように、教会建物が空襲で破壊されたときのように、阪神淡路大震災で多くの家屋が倒壊し、地域の住民が被災し恐怖に陥ったときのように、このような時にどのような発言をし、どのような行動をとるかで人間の本当の姿が現れます。 メイヤーズ牧師が言った、聖書句を暗記することは教会員の励ましとなりました。周囲の日本の住民の生活が再建されるまで教会建物を再建せず、壊れた教会建物で礼拝を行うとKUCの人々が決めたことは、思いやりと心遣いを示すものでした。讃美歌を歌い、キリストを救い主とする教会の人々は、街や家を再建しようとする戦後と震災後の地域の人々を希望へと導きました。 当時の教会の人のそういった深い信仰の表れ、および優しさと思いやりの底にあるのは何だったのでしょうか。自分たちの周りの世界が崩れ、よいことは何も残っていないような状況で、どうして彼らはあのような言動を取ることができたのでしょうか。 私が思うに、彼らの信仰と自信の中には今日の聖書箇所である詩篇16章が鳴り響き、こだましていたのでしょう。 詩篇16章はダビデ王の作で、神を主と崇め、神を個人的に知っていると歌い上げています。ダビデにとって主は祭壇から国を司る遠い存在の王ではなく、自分の人生のあらゆる局面で個人的に親しくしている近い存在でした。ダビデはまた、主との関係は、神を信じる民へ「ゆずりの地」として代々受け継がれると知っていました。(詩篇16:5-6) 40年にわたり荒野で風の吹き荒れる岩石の道をさすらった民に、神は部族ごとにゆずりの地所を相続地として与えましたが、レビ族だけには土地を与えず、その代わりに主である神を相続地として受け継ぐように定めました。(申命記10:9) 「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません」(詩篇16:2)と言うとき、神の民がそうしたように、ほかの何よりも私たちは主を選び取ります。「主は私へのゆずりの地所、また私への杯」(詩篇16:5)です。私たちはそのゆずりの地、つまり主との関係を相続地として受け継ぐのです。 このゆずりの地は過去のものではなく、今、ここに、現在にあるものです。私たちは生きている現在の主との関係に入るのですが、そこでは主があなたを歓迎し、あなたは神の民と共に「すばらしいゆずりの地」を得るわけです。(詩篇16:6) 古代の世俗的遺産のような空想的な感覚ではなく、知らない親戚から遺産を相続したような奇妙な思いでもなく、神のゆずりの地はすばらしくて喜びに満ち溢れて、現在の私たちとともにある生きている相続財産です。 この主との関係には絶対的な安心があります。「主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない」(詩篇16:8)。主は「私のたましいをよみに捨ておかず」とあるように、私たちには主への信頼があります。「よみ(ヘブライ語でSheol)」は神を知らない死者の国です。主は私たちの右におられ、私たちを捨ておかず共にいてくださり、「私に、いのちの道を知らせてくださいます」(詩篇16:11)。 この生きたゆずりの地は、詩篇16章にあるように身近で次第に大きくなるものです。 「私に助言を下さった主」(詩篇16:7)の声を聞きましょう。私が主に話しかけるだけでなく、主は私に向かって話されます。神の助言は「私の心が私に教える」(詩篇16:7)のです。神の助言は私の心に深く根差し、夜間眠っている間でさえ助言が聞こえます。 この神の声が私の行動の源泉です。「私はいつも、私の前に主を置いた」(詩篇16:8)。そして主に導いてもらいます。主が私の必要なすべてであると知っているからです。主こそが私に必要なゆずりの地、嗣業、与えられた財産であり、受け継いでいくものです。これよりほかに大切な相続財産はありません。 神が私たちの主であると告白すると、すべてが変わります。主とともにいる限り、生きているゆずりの地を持っている限り、私たちは何も心配することはありません。避難所であり力である主の中で安心していられます。 このことをKUCの先輩であり信仰の兄弟姉妹である当時の教会の人たちは信じていました。だからこそ、愛と思いやりが危険を伴い愚かしいものと思われるような時代と場所にありながら、先輩たちは愛と思いやりを貫き、実践していったのです。 彼らは主の安全と安心の中で生きていました。それは自分たちの美しい教会が破壊されても、牧師と多くの教会員が拘留されても、教会員同士の交流がなくなっても、戦争が教会の人々を引き裂き教会の規模が縮小されても、また地震で地域が混乱しても変わりませんでした。何事が起ころうと、自分たちに与えられたゆずりの地を誰も奪うことはできないと知っていました。それは主がいつも共におられ、主は「私の受ける分を、堅く保っていてくださいます」(詩篇16:5)とあるからです。 困難な状況になると視野が狭くなり、失ったもののことばかり考えて頭がいっぱいになってしまいます。それでここ数十年間、信仰を持つ人は世界中で少なくなってきています。教会に通う人は年々減少し、特に今はコロナの影響で多くの教会では出席者が減り、財政面でも苦しくなっています。 よく耳にするのは、「昔の教会は出席者が多かったし献金も多かった。昔は教会で行事や催しがたくさんあって、いろいろなことができたのに」という嘆きの声です。 しかし今日みなさんには、キリストの中にあるすばらしいゆずりの地のことを考えてほしいのです。そのゆずりの地とは戦中戦後のKUCの人たちから受け継いでいるものです。困難な状況に嘆くのではなく、寛大な心で地域社会に手を差し伸べ、戦争敵国でありながら憎しみではなくキリストの愛を差し出して地域の人々を驚かせたKUCの彼らのゆずりの地です。 長引くコロナ禍の影響で、私たちの教会の人々の間でも第二次世界大戦の時のように、多くの人が健康面、感情面、財政面で苦しんでいます。社会でも自殺やうつ病が今まで以上に多くなり、家庭内暴力が増え、勤務時間が減りました。多くの人が職や家や財産を失っています。コロナで同僚、友人、家族を失った人もいます。知っている人がコロナに罹ったら、それよりもし自分が罹ったらどうしようと恐れながら毎日を過ごしています。医療体制が逼迫し必要な治療が受けられないかもしれないことが恐れを増幅させています。 このような時、人はよく自分の命が誰によって何によって支配されているかを考えるものです。この時にこそ、神が私たちの主であり、すべての人の主であると言いましょう。私たちは主を信じ、主が善であることを信じています。そのことは代々ゆずりの地として受け継がれ、現在の困難な状況にあって私たちは奉仕するよう求められています。 私たちは地上ではなく天国に財産を積むように言われています。自分の家の繁栄や財産を増やすことを考えるのではなく、パンデミックの影響で被害を受けた人を含めて苦境に立たされている人に目を向けなければなりません。 コロナ禍の今、困っている周りの人に対応するように私たちは求められています。戦後、教会建物の再建を考慮の末に延期したように、またカドタさんが区役所に行って一番困っている人たちを探したように、私たちのすぐそばで困っている人を助けるために、実際に自分が何をすべきか、どう行動すればよいか考えなければなりません。 今、人々はコロナとの戦いに疲れ果てています。そのため、コロナ禍の疲弊にどう対処すればよいかについてTELL(英語のこころの電話相談室)主催のワークショップを教会で計画しています。 母親もまた疲れています。新しい日常のソーシャルディスタンスと孤独の中でどのように子どもを育てていけばよいのか悩んでいます。それで教会ではzoomでの母親の集いの会を始めました。 経済的に困っている教会員のためには、食料や物品を届ける教会の奉仕活動も続けています。 孤独で自分の話を聞いてくれる相手が必要な人のためには、傾聴クラスのグループを立ち上げて活動しています。 これらの活動の中で私たちは、命のパンである神の御言葉を伝え、人々が神につながり続けるように励まし、どんな状況にあっても神を賛美し神に感謝するように導こうとしています。 もしあなた自身やあなたの知っている人が重荷や不安や心配を感じていたり、奉仕活動をすることに躊躇したりしていたら次の詩篇の箇所を読んで主の中にある安全と安心を見いだしてください。毎日鏡を見て自分にこう言ってください。 「あなたこそ、私の主」(詩篇16:2) 「主は、私へのゆずりの地所」(詩篇16:5) 主は私が受け継いだゆずりの地。「まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ」(詩篇16:6)。 みなさん、私たちはキリストにつながっています。それは愛と思いやりのゆずりの地として私たちが受け継いでいるキリストとの関係です。このゆずり地という財産の中で安心して神と隣人に仕えるための活動に踏み出してください。神戸ユニオン教会の150年の歴史の中で、信仰の兄弟姉妹である人々が主を愛し主に仕えてきたのと同じように。 主は私たちの神であり、主を離れては何もなしえません。 アーメン 「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ人への手紙15:4) ご自身の家系や家族の歴史についてどの位ご存知ですか?ご自身の民族の伝統や先祖の名前などもご存知ですか?このビデオを撮ってくれているエリックは、フランス人です。そうですよね?エリック?そして、視聴してくださっている日本人の方はどの位、ご先祖様を遡れますか?私自身、自分の家系の事は分かっていたのですが、1度血筋や家系を知るためのDNAテストを受けた事があります。 血筋や家系を知るためのビジネスはアメリカでは盛んで、テクノロジーが進んだ今、自分の血筋を知るために以前は出来なかったような調査が可能になりました。 私自身は、フランス、スコットランド、アイルランドの血が混じっています。私の苗字はGenung で、その名前の語源となった最初のGeunons はフランスのユグノー(フランスの改革派教会)でした。彼らはフランス・カトリックを脱出したプロテスタントでした。私の祖先の場合は1657年に脱出しています。フランスのユグノーたちには選択肢がありました。改宗するか、処刑されるか、出ていくか。私にとって幸運なことに、私の祖先のジャン・ゲノンは去ることを選択し、ニューヨークのロングアイランドに行きました。私は、このフランスの血筋を誇りに思っています。これが私の祖先について書かれている本です。 ここで、少しKUCのレガシーや本日の聖書朗読箇所に入っているクリスチャンとしてのレガシーについてもについてお話したいと思います。本日の主題です! 1942年12月21日、KUCの秘書であった門田さんは大阪から自宅に戻る途中でした。阪急電車を降りたところで、自身の元日曜学校の先生であり、昔からの知り合いである賀川先生にバッタリ出会うのです。賀川先生も毎月通っている西宮の教会へ行く途中で偶然同じ電車に乗り合わせていました。2人は長い間会っていなかったので、門田さんは同じ電車に賀川先生を乗り合わせてくれたのは、神であり、神がこの機会を導いてくれたと思いました。賀川先生は門田さんに会った瞬間に「門田さん、ご自身の教会がもう私たちのものではなくなったのですよ」と告げました。門田さんは寝耳に水で、さらにこの件について教会員が何も知らされていなかったことにもショックを受けました。 賀川先生が門田さんに告げたのは、外国の土地として日本政府に没収されていたKUCの土地と建物は、すでに平野教会が買収することが決まったという事でした。教会側は12月27日に支払を行うために財務省(当時は大蔵省)に男性を送るところでした。 門田さんは「西宮から神戸までの15分間の電車の中が経験したことないほど長く感じた。」と言い、「帰宅するとすぐにハンセン氏に電話をすると、ハンセンさんはすぐに私の自宅まで駆けつけてくれ、賀川先生から聞いたニュースを伝えました」と言っています。(ハンセン氏は教会員だったと思われます。どの国のご出身なのか、教会でどんな役割を担っていた方なのかは、分かりません) 「翌朝、ハンセン氏は、谷口さんの事務所に出向き、谷口さんの甥と面会できないかと尋ねます。谷口さんの甥は財務省の副大臣でした。結果、ドイツ語を話すグループは教会に留まる事が出来ると言われました。しかし、当時KUCのドイツ語グループをけん引していたヘニング牧師(戦前にNYのユニオン神学校で学んだ先生です)は英語の教会員が追い出されるのであれば、ドイツ人たちもここを去ると財務大臣に告げたのです。最終的には、政府機関の理解によって妥協案が提案され、英語、ドイツ語および日本語を話す人々が建物を共有できることになりました。実際に転売は完了していたので、教会の門には「三ノ宮教会」という名前が付けられましたが、今まで通り礼拝は全て続けることができました。1944年のクリスマス礼拝の出席者を英語で記録したメモがあります。13の異なる国籍が書かれており、17名の日本人、6名のロシア人、6名のスイス人、5名のドイツ人、2名のスウェーデン人、2名のデンマーク人、2名のアメリカ人、2名のイギリス人そして1名ずつインド人、オランダ人、トルコ人、フィンランド人、およびハンガリー人が参加していました。メモの最後はこんな言葉で締めくくられていました。「敵は敵と一緒に座り、誕生日の中でも最も素晴らしい日を共に祝いました」 様々な困難を潜り抜けながら、KUCは戦争を生き残りました。しかし、アメリカのB-29による神戸への攻撃は1945年3月5日の神戸中西部の兵庫地域への爆撃から始まり、6月5日の2回目の爆撃で神戸のビジネス地区は壊滅し、KUCは焼夷弾によって焼かれ、水道管が破壊されていたので、消火さえもできず、教会にいた人達も何もすることが出来ませんでした。火がやっと鎮火した時には礼拝堂、フェローシップホールのコンクリート壁と牧師の住居の2F部分が残っただけでした。あと70日で終戦だったのに惜しかったです。 KUCのウェブサイトにアクセスしてから、150周年のページを開くと、EKKのウェブページに繋がります。当時の写真や記事を閲覧する事ができます。 (https://www.evkobe.org/deutsch/150th-anniversary-of-kobe-union-church/ ) アキコ牧師が来週、彼女の説教の中でこの事についてもう少し話しをする予定です。 これが私たちのレガシーです。クリスチャンとして、私たちは独自のレガシーを持っています。私たちは精神的に繋がっている家族であり、私たちの歴史はDNA検査ではなく、古代の教科書である聖書を通して遡る事ができるのです。 聖書では神が人々の生活を通して、どう関わってくださったかが分かります。ヘブライ語の聖書には、私たちのユダヤ教を通してのクリスチャンのルーツを描いています。私たちが何者であるのか、なぜここに存在するのか。しかし、聖書は私たちのキリスト教の伝統を描くだけでなく、もっと重要な事を行います。それは私たちの過去と未来を形作った神を示しているのです。それは私たちがどこから来たのかだけでなく、誰の子であるのか。つまり私たちは神に愛されている神の子であるという事です。
使徒パウロによれば、「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ人への手紙15:4)と書かれています。聖書の物語は私たちに指標を示し、心を強くし、励まし、希望を与えることを目的としています。 聖書の言葉は聖霊の助けを借りて、神とはどういった人なのかを描き、神が私たち、すなわち神の子供たちとどのように関係しているかを教えています。 パウロの言葉が十分でなければ、私たちの霊的な血統記録にもっと注意を払うべき良い理由があります。 イエスは聖書は以前に行った事のある人だけでなく、来るべき人についても語られていると教えていました。イエスは、それは彼自身について書かれていると言いました。 ルカの福音書24:27を見てみましょう。「それからイエスはモーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」 聖書を読み進めていくと、神が私たちを救うために息子であるイエスを送ってきたことが分かります。 未来の見通しが立たなくとも、神が私たちに何を今まで行ってきたかを知る事で希望を持つ事が出来ます。クリスチャンとして、私たちは希望の人です。これは、楽観的であるという意味とは違います。希望のある人は道の途中で苦労するかもしれません。希望のある人々は人生のどんな岐路に立たされようとも必ず神が共にいてくれることを知っています。 KUCの150周年を祝う時、KUCの歴史や伝統を見てみましょう。KUCはオンライン・グローバル・ミニストリーを行っている事は素晴らしいことです。私たちはzoomのクラスを通じて多くの人々と繋がり、今秋にはさらに多くのクラスを提供する予定です。私たちの将来のビジョンがどの様に展開されていくのかを見るのはワクワクします。 私は現在62歳なので、KUCが200周年を迎える時にはきっとここに居ないでしょうが、将来私たちのレガシーや伝統を新しい世代の人達が振り返ってくれることを願っています。私たちは未来への希望を与えてくれる過去を見るのです。 祈りましょう。 神様、あなたは私たちの過去、そしてこれから来る未来の希望であり、あなたは私たちが人生の荒波を受ける時のシェルターです。私たちの人生の続く限り、そして天国でも導き続けてください。アーメン。 |
日本語の説教日本語の説教原稿はこちらにあります. Archives
May 2024
Categories |