今日はいつもの礼拝よりもたくさんの歌を賛美してますね。実は今回の礼拝のために、ワーシップチームで、どんな曲を賛美するか、どんな構成にすればより、会衆のみなさんが、礼拝にフォーカスできるか、と言うことを話し合いました。
でもそもそも、礼拝って何でしょう?ヘブライ語で礼拝に当たるいくつかの言葉があり、シャハーやハーヴァと言う言葉がありますが、この言葉はひれ伏す、という意味です。イスラム教の人たちがメッカに向かって床にひれ伏して礼拝をしている、あれですね。そして、このシャハーと言う言葉は、捧げ物とセットになっている言葉だそうです。旧約聖書では、聖所には法で決められた捧げ物を持って行きます。またその頃に聖所もしくは至聖所に入ることができる人は、レビ人だけでした。そして法によって決められた儀式を行わなければいけませんでした。では、イエス様が来られてからはどう変わったのでしょうか? パウロはローマ書12:1で『ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。』と言っています。 私たちが礼拝をするとき、私たちはは種の前に自分自身をささげ物として献げなければならない、それはなぜでしょう? それは、わたしたちが神様を礼拝するために造られたから、です。 アダムとイブが罪を犯す前、自分を隠す必要もなく、主の霊と会っていたわけです。でも、罪がこの世界に入ってから、わたしたち人間は罪から逃げられず、義とされることもなく父なる神様と顔と顔を合わせて会うことができなくなりました。しかしながら、父なる神様は、ヨハネ3:16にあるように、特別な計画を用意しておられました。それは神のひとりご、御子イエスをわたしたち人間の罪のために、十字架にかけて、わたしたちの身代わりとする、ということでした。 イエス様なしでは、わたしたちは誰一人、聖なる神様の御前に近づく価値もなく、不十分な存在です。でも父なる神様は諦めることなく、ご自身がいけにえを用意し、わたしたちを贖ってくださいました。わたしたちが自分たちの罪なる性質や不完全さを見た時に、イエス様抜きで自分たちを義なるものとできるでしょうか?パウロが第二コリント12:9で『しかし主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』と言っています。 私たちは自分たちの弱さや不完全さをささげ物として持ってくることができるんです。私たちが持ってるものは主の御前には取るに足りないものだから、と思われるかもしれませんがみなさんにお勧めしたいのは、2匹の魚と5つのパンを主に差し出した子のような信仰を持ってみませんか? 皆さん方の中には、いかに私が不完全で弱い人間かをすでにご存知の方もいらっしゃると思います。正直言えば、私は良い母親でもなければ、良い妻でもありません。それでも主の前に、このかけだらけの土の器を差し出すようにしています。神様が、ヒビや不完全な部分を日本の金継ぎの技法を使う陶器士のようにわたしを金で直してくださるからです。 そしてわたしたちがひれ伏すのは、最上級の尊敬の念を表すからでもあります。また同時に、相手方に対して降伏するという意味もあると思います。兵士が戦闘をやめて、相手の前に降伏するときに両手を挙げますよね。私たちが主の前に自分の人間的な力でやることを諦めた時に、ようやく神様が働くことができます。ただ、個人的な経験から言えば、大体が本当に絶望的で全く他になんの希望もない、という状況です。神様以外にはもう他になんの助けも望めない、という状況です。わたしたちが神様の前に降伏した時、主はその力強い義なる右の手で、わたしたちの手を取って引き上げてくださり、わたしたちがいる状況から、神様が望んでおられる場所へと運んでくださいます。 教会として、主の子供として、またキリストの体として、共に謙遜を持って、みんなで主の御前に出てみませんか? なぜならマタイ18:20でイエス様が言われたように、『二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいる』からです。 わたしたちが主を礼拝する、主と会うために集まるときに、主もわたしたちと共にこの場所におられます。 わたしたちが、誰であろうとどんな人間であろうと、状況がどんなであろうと、わたしたちは主の前にひれ伏すために、主に立ち返る必要があり、また立ち返ることができます。 神様、イエス様はいつも私たちと顔を合わせて、親密な濃い時間を過ごしたいと招いておられます。 共にBroken Vesselを賛美して、主の招きを受け取っていきましょう。
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Click he先週の月曜日は、第二次世界大戦に終止符を打った日本帝国軍が米国とその同盟国に降伏してから77周年目でした。「和解を経ての平和」と題した今回の説教は、何年も前のあの恐ろしい戦争を思い出すこの時期に適していると思います。もちろん、それは私が生まれる前のことであり、それほどかけ離れていませんが、皆さんのほとんどが生まれるずっと前のことでした。私は8月5日に75歳になったばかりですが、私の誕生時刻を日本時間に正確に当てはめると、8月6日の朝、広島で最初の原爆慰霊(広島平和記念式典)を催していたとき、私は初めて外の空気を吸ったのです。
もちろん、誰もが「平和」を望んでいます―ウラジミル・プーチンのような連中も含めて。もちろん、彼のような場合、それは彼自身の「平和」の信念であり、すべての反対意見や彼の邪魔になる者は抑圧することなのです。それでは「平和」とは何であり、どうすれば達成できるのでしょうか。興味深いことに、日本語の平和を表す二つの言葉は、同じ二つの文字を逆の順序で示しています - 平和と和平。平和は肯定的な平和であり、和平は私達が否定的な平和と呼ぶことができるでしょう - つまり、戦争がない状態です。これは、「平和構築」(前向きな平和)と軍事力を使って紛争当事者の間を離すという意味での「平和維持」の違いに似ています。今朝、私が強調したいのは、結局のところ「平和の君」イエス・キリストだけがもたらすことができる前向きな平和についてです。 そのために、私が10年ほど前から携わってきたプロジェクトである歴史小説「手負いの虎」についてお話ししたいと思います。この本の表紙に書かれている表題は、「真珠湾攻撃の総指揮官、淵田美津雄の知られざる真実の物語。彼の人生を変えたのは、日本軍に捕らえられたアメリカ兵と、一度も出会うことのなかったアメリカ人女性だった。」。 表紙に描かれている男性は、日本のトップパイロットであり、攻撃の計画を支援し、この秘密の任務のためにパイロットを訓練し、そして戦闘機で攻撃を指揮するために選ばれた淵田美津雄氏です。このプロジェクトの私の役割は、まず著者のマーティン・ベネット氏がストーリーの詳細を正しく理解し、ストーリーラインを埋めるための新しい情報を見つけるのを手伝い、日本語に翻訳するチームを導き、日本語版の本を出版する事で、それは3年前に終了しました。KUCの川上ヨシカズ氏から、貴重なフィードバックをいただき翻訳を微調整したことも付け加えておきます。ちなみに、ヨシ(川上ヨシカズ氏)は、チームの中で彼だけが淵田氏を個人的に知っており、彼自身がキリストを受け入れる上で、淵田氏の証しはなくてはならない重要なものだったのです。 ですから、今朝私がお話したいのは、この物語の概要と、物語がキリストによる和解が真の平和をもたらすための鍵であることを、いかに力強く表しているかを皆さんにお伝えすることです。実際の歴史の小説版として、著者はもちろん、ストーリーの流れを良くするために、どこにも記録されていない登場人物間の会話などの詳細を創作する必要がありました。しかし、実際の出来事そのものが本当に起こったことです。 この小説は三つの筋書きで構成されており、最初は一見、主人公達はつながっていないようですが、最終的にはすべてが驚くべき道筋でつながるのです。最初の筋書きは、もちろん、淵田氏自身のものであり、本の約半分を占めています。二つめの筋書きは、真珠湾攻撃に対するアメリカの反撃「デューリトル空襲」の戦闘機の一パイロットだった「アメリカの囚人」ジェイク・ディシェイザー氏のことです。爆撃戦闘機は空母から飛び立ち、主に東京圏の軍事標的に爆発物を落とし、中国の自由地域に着陸するために飛行し続けることになっていました。しかし、ジェイクの戦闘機には中国のその地域に到達するのに十分な燃料がなかったので、彼と他の七人は日本軍に捕らえられ、戦争中は殺されるか刑務所に留まることになったのです。 三番目の筋書きは、コヴェルという名前の宣教師の家族の話で、その娘ペギーは淵田氏の人生に起こった信じられない変化に尽くした器となりました。ちなみに、コヴェル一家はNLA(Nojiri Lake Association:野尻湖協会)の初期にここ野尻にキャビンを持っていた宣教師の家族でした。彼らは1920年代初頭から1938年までの夏を、私がいるキャビン102から遠くないキャビン105で過ごしていました。そして戦後、ディシェイザー家も数年間ここにキャビンを持っていました。また、この話と私が持っているもう一つの興味深いつながりについて話させてください。それは私達が引退以来(もちろん、私達がここ野尻にいないとき)住んでいたフロリダのペニー退職センターの住民の一人が、コヴェル一家と親密に協力した宣教師家族の娘であるということです。ローズマリーは戦争が始まる直前に家族が日本を離れることを余儀なくされたとき、まだ7歳でしたが、コヴェル家とファーナム家は同じ宣教団から送られ、多くの時間を一緒に過ごしました。ローズマリーは、この話に特に感動し、とても親しみを覚えて個人的なつながりを感じました。もちろん、実際の出来事と密接な個人的なつながりを持たないと、この実話に深く感動しないという事ではありません。淵田氏が戦争に身を捧げた戦士から、平和のための力強い大使へと完全に変わった彼の人生に何が起こったかを見ていきましょう。 淵田美津雄氏は幼い頃から海軍が好きで、海軍兵学校に入学することができ、その忍耐力によりすぐに昇進しました。彼は非常に才能のあるリーダーでありパイロットだったので、彼は日本最高のパイロットとなり、英雄になりました。彼は真珠湾攻撃の成功を知らせた暗号であった有名な「トラ、トラ、トラ」のメッセージを送った人物であり、天皇陛下に直接報告するために招待されました。彼が描いた地図は、本に載っている250枚以上ある図の1つです。この不埒な攻撃に対する米国の反応は、当然のことながら、復讐を求める世間一般的な怒りでした。その中の一人はジェイク・ディシェイザー氏でした。デューリトル空襲隊の二機の戦闘機、ジェイクの戦闘機も含めて燃料切れのため日本軍が占領していた中国上空にパラシュートで脱出しなければならなかったのです。捕虜となって残酷な扱いを受けたジェイクは、日本人に対して憎しみが増すばかりでした。戦争が終わる数ヶ月前に、終戦の数ヶ月前に、天皇陛下自身が介入し、残りの四人のデューリトルの捕虜が死なないように、より良い待遇を要求したのです。 その待遇の一部には読み物を受け取ることも含まれており、警備員はどういうわけか英語の聖書を見つけて、ジェイクにそれを読むように渡したのです。彼は子供の頃、日曜学校で学んだ聖書を表面的にしか知らなかったのですが、読んでいるうちに、神は彼の心の中の警備員と日本人全般に対する憎しみを変えて行ったのです。実際、神は彼を変えてしまい、彼は日本語を学ぶために大学に行き、宣教師として日本に戻ることを決めました。彼は1948年に、かつての敵の救いに残りの人生を捧げながら、最初に日本に来た任務とは大きく異なる任務で帰ってきました。 一方、戦時中、淵田氏が海軍の軍事活動において真珠湾攻撃後も成功を収め、彼は中心的な役割をずっと果たしていました。何回も危機一髪で死を免れて、真珠湾攻撃に参加した70人の将校たちのうち生き残っていたのは淵田氏だけでした。その中の一つの危機一髪の経験は広島の原爆のことでした。原爆の前の日8月5日の午後まで、淵田氏は広島で、避けられないと思われたアメリカの侵略から日本本土を最終的に防衛するための計画「決号作戦」の話し合いに参加していました。しかし、その午後に、司令部に呼ばれたため、彼は突然、重要な会議に参加するために奈良の大和基地に呼び出され、その日の午後遅くに飛行機を飛ばしました。次の朝、広島で共に働いていた人たち全員が原爆で死にました。報告を受けた司令部が淵田氏をすぐ視察団のリーダーとして広島に派遣して、その後、彼は何が起こったのかの調査を率いたのです。次の朝から、放射能がまだ強かった広島の瓦礫の中で三日間歩き回っていました。そして、長崎にも原子爆弾が落とされ、淵田氏は同様の任務をするためにそこにも送られました。数日後、彼らは皆、かなりの放射線に被曝していたので、代表団のメンバーは数日以内に放射線障害を発症し始め、それは非常にひどかったので、何人かは亡くなりました。奇跡的に、淵田氏自身は悪影響を被らなかったのです。これに対する彼の反応は、この本の中で次のように説明されています。 :ここ数年間というもの、淵田氏は死ぬような経験を何度もしたし、死んでいてもおかしくなかった。そしてまだ生きていることに罪悪感を覚えることさえあった。爆発の当日も、彼は広島にいるはずであったし、同僚と一緒に死んだはずだった。彼以外の調査団のメンバーは皆病気になったのに、彼自身は仲間の将校たちがこうむったどんな悪影響も受けなかった。全く何もないのである。その時、初めて彼は感じた。「どういう訳か、私は生かされている。自分を超越する何かによって私は生かされているのだ。」広島での彼の経験は実に冷静で、特に一つだけ目立つ事件があった。 本から引用: 広島で経験したことが淵田氏の心を平和へと大きく傾けさせました。その中で、一人の年老いた女性との出会いが本の中で紹介されています。その箇所を読み上げたいと思います。 汚れた着物をまとった一人の年老いた女性が、サビついた自転車の車輪を取付けた荷車を押しながら近づいてきた。彼女は立ち止まって、将校たちをにらみつけた。瓦礫の荒野と化したこの街。「しかも人々がこんなに苦しんでいるというのに、よくもまあ観光旅行などできるな。」と老女の顔が語っていた。「そうだよ。」果敢にも、彼女がそう言い捨ててうなずいた。彼女は周りの焼野原をじっと見つめ、それから好奇心旺盛な将校たちを見つめ返した。そしてもう一度将校たちを見た。将校たちも、興味深げに彼女の言葉を待った。「そうだよ。あんたたちの周りをよく見なさい。ここと同じような街が一杯あるんだ。」彼女は将校たちをにらみながら、荷車のハンドルを降ろして、淵田氏に近寄ってきた。「あんたたちのせいで、こうなったんだ。」彼女は皮肉たっぷりに腕を広げて言った。「これがあんたたちの偉大な大日本帝国さ!」「貴様、将校に向かってその態度は何だ!」将校の一人がそう叫んで前に出た。彼女は威厳を持ってその将校の方に向いて言った。「今さら私から何を取ろうと言うんだい?私にゃ何も残っちゃいない。全て失ったさ。」彼女は再び淵田氏の目を食い入るように見た。そして、さらに近づいて静かな怒りを込めて続けた。「あんたたちは嘘ばかり並べて、私らを裏切ったのさ。私の夫は死んだ。息子たちも死んだ。娘たちも死んでしまったよ。」彼女は後ろを振り向かずに、グイッと腕を回し黒焦げの所持品で一杯の荷車を指差した。「私の持ち物はこれだけだよ!」 淵田氏には分かった。その言葉は何一つ希望のない老女の独り言ではない。それは、激怒した国民全体の声であった。戦争へと駆り出され、彼らの愛する国が破壊され、屈辱的な敗北によって愛する国家がすり潰されてしまった。その老女の声は、軍部の指揮官たちが熱狂的に戦争へと突き進んでいた時には決して聞かれることのない声だった。そしてまた、今後決して言葉を発することのない何百万人もの人々の声でもあった。 彼女はさらに一歩淵田氏に近寄って、静かに語り始めた。「私はこんな酷い戦争、一度も望んだことはなかった。全て失ってしまった。消えてなくなったよ。跡形もなくね!」彼女はすすだらけの手で、淵田氏の軍服の襟元をつかんだ。他の将校たちは唖然として見つめた。「今度は私達をどうするつもりなの?! 私達はこれからどうしたらいいんですか?」言い尽くした彼女は平静さを失い、震えながら泣き始め、そして、淵田氏の足元に泣きくずれた。淵田氏の軍服には、彼女の手に付いていたすすの筋が入った。将校たちが言葉もなく見つめている中、老女は淵田氏の足元でうめき声を上げ泣き続けた。淵田氏は舞い上がる煙の向こうに見える水平線をじっと見つめた。彼には返す言葉もなかった。 そして、もう一箇所をも紹介したいと思います。この戦士がどの様に急速に平和の大使に変貌したかを示しています。日本が降伏条件を受け入れると宣言した天皇のラジオメッセージのすぐ後、淵田氏はアメリカの占領に移行する作業の最前線にいた。 本から引用すると: 天皇陛下の玉音放送以来、淵田氏にとっては苦しく大変な二週間だった。これまでの人生を戦争に向けての準備、また戦争を遂行することに費やしてきた彼は、今後は平和に貢献する者として全力を尽くすことを心に誓ったのだった。そこで、彼は急いで「我々はこれを信じる」と題した文書を、まだ戦争の継続を望む者たちに向けて作成した。すなわち、彼らは全力を尽くした、何も恥ずべきことはない、降伏は天皇の意志であるとの旨を説いたのである。この文書が印刷された小冊子は、何千冊も配られた。移行を円滑に進めるために、皇室のメンバーでさえも、法令遵守を奨励するために派遣されました。 戦争が終わって最初の3、4年間、淵田氏は公的な生活から身を引いて、物事を解明しようとして瞑想に多くの時間を費やした。自分の人生の意味やこれからの生き方を考えていたとき、渋谷駅前のハチ公の像の前を通っていたとき、ジェイク・ディシェイザー氏の証しが書かれていたパンフレットを手渡されました。「私は日本の囚人でした」と題され、ジェイクが復讐のために初めて日本に来た経緯が語られていましたが、聖書を読むことによって捕らえられたあの恐ろしい地下牢で神を見つけた経緯と、それが彼をどのように変えたかが語られています。彼は今、和解を求め、日本国民を助けるために愛を持って日本に戻ってきました。ちなみに、そのパンフレットを淵田氏に渡し、後に聖書を渡した宣教師も、ここ野尻にキャビンを持っていたので、私達とこの歴史とのつながりは確かに深いのです。 聖書を読んでようやく淵田氏の心の中で物事がまとまり始め、かなりの霊的闘争の後、この「手負いの虎」は彼の魂の癒しのためにキリストを自分の救い主として受け入れるようになりました。彼にとって一番心に響いた言葉は今日の聖書箇所にあった、十字架上のイエスの言葉でした。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているかわからずにいるのです。」まさにその通り、彼は真珠湾攻撃を率いたときに自分が何をしているのか本当に知らなかったからです。淵田氏がキリストに献身した後、彼はジェイク・ディシェイザー氏と出会い、1950年代半ばから1976年に亡くなるまで、彼は伝道者として奉仕しました - ジェイク・ディシェイザー氏と一緒に数回、そして彼は赦しと和解を求め米国で多くの時間を過ごしました。 お互いに深く憎しみを抱いた国々の二人の元戦士は共に真の平和への鍵を見出していました。それはキリストの愛を通して初めて心からの赦し合いと和解が可能となるのです。それこそ今の世の中が必要としていることです。もしロシア人とウクライナ人が、そうする恵みを見いだすことができたら、何が可能か想像してみてください! しかし、人間の愚かさと争いを通してさえ、神は聖書が「平和の君」とも呼んでいるイエス・キリストを通して和解する様に、すべての被造物の生活の中で働き続けています。平和への道は、相互の赦しと和解から始まります。私達一人一人が今日の生活の中でそれを見いだすことができますように。 祈りを終える前に、この機会に、このプロジェクトが現在どのような立ち位置にあるかを簡単にお話ししたいと思います。先ほども申し上げたように「手負いの虎」プロジェクトは、15年以上前に著者がこの物語を知り、広範な調査を始めた時から始まりました。彼はハリウッドのスタジオから映画化するために大金を提供されました。しかし、彼らが切り取ったり修正したりしたものについて著者には発言権がないのです。物語の霊的な側面を保たなければならないと強く感じたので、彼はその申し出を断りました。資金を調達するのには何年もかかりましたが、今年後半から来年にかけて、米国と日本の両方でこの書籍の大規模な販売キャンペーンを行うのには十分となりました。ですから、このキャンペーンの成功と、本当に素晴らしい映画にするためのキャンペーンに必要十分な資金と専門知識がすぐに与えられる様に祈ってください。本当に前途は有望に見え、私達は、この真実の物語を通しては神が恵みと憐れみの力強い働きをなさると信じています。 それでは、祈りで締めくくりましょう: 宇宙の創造主である神。私達はこれほど多くの思いがけない人々の生活の中で行っているあなたの力強い業を称賛し、栄光を帰します。70年も前の恐ろしい紛争の時、誰も淵田美津雄氏が、イエスの信徒になり、平和の大使になる可能性があると思った人はいなかっただろう。しかし、主、あなたは彼の人生のために素晴らしい計画を持っていて、あなたはそのような劇的な方法で実行されました。そして、あなたが私達の生活の中で働く方法はそれほど劇的ではないかもしれませんが、あなたが私達の頑固さと愚かさにもかかわらず私達の生活の中で働いていることに感謝します。主に頼るとき、一人一人が自分の可能性を実感できるように助けてください。私達はこの「手負いの虎」プロジェクトを祈りのうちに掲げ、この物語が広く知られるよう道を開いてくださることをお願いします。この物語の持つ潜在的なビジョンを多くの人々が捉えて受け取り、物語が「銀幕」に映し出され、人々を主と主の恵みの座に導くことができます様に祈ります。平和の君イエス・キリストの御名によってお祈りします。 アーメン。 re to edit. 77年前の8月6日午前8時15分、アメリカの戦闘機エノラ・ゲイが広島の街の真ん中にウラン爆弾を投下しました。それから72時間余り過ぎた8月9日には、長崎にプルトニウム爆弾が投下されました。 広島ではこの日、約7万人の日本人が一瞬にして亡くなり、その後2~4カ月でさらに約7万人がやけどやケガ、放射線病、その他の病気で死亡しました。 長崎では4万から5万人であったと言われています。
この2つの原爆によって、最終的に約25万人の命が奪われることになったのです。 何世代にも渡り、日本人は1945年からの原爆投下による身体的、精神的、心理的、文化的な傷跡を背負っているのです。 私の友人で、近藤紘子さんという方がいます。国際的に有名な平和運動家です。世界中で講演をし、神戸ユニオン教会のWOWやカナディアン・アカデミーなど様々な学校でも講演をしていますが、彼女自身も被爆者です。 広島に原爆が投下されたとき、彼女はわずか生後8ヶ月でした。 彼女についての記事を紹介します。 「近藤紘子さんは、広島に投下された原爆によって街が破壊されたとき、わずか生後8カ月でしたが、この原爆は彼女の人生に大きな影響を与えました。彼女と母親は、自宅が倒壊したときに一命を取り留めることができたのですが、幼い頃の記憶の1つに、10代の少女たちに慰められた事があると言います。『私は彼女たちの顔を見ることができませんでした。彼女たちの唇はあごまで焼けていて、やけどで目が閉じることが出来ていなかったのです。』」 彼女の父親であるメソジスト派の谷本清牧師は、ジョン・ハーシー氏の代表作『ヒロシマ』に登場し、原爆によって変化した日本の少女たちに(被爆後の体を修正するための)整形手術を受けさせる「ヒロシマ・メイデンズ」という活動を展開していました。谷本牧師は、原爆投下後の広島で、平和を推進し、負傷者のための募金を集めるために米国に向かいました。そして、1987年に亡くなるまで、その平和のための闘いを止める事はありませんでした。 その活動により、1955年に「This is Your Life」という番組で、紘子さんを含む家族と共にインタビューを受け、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ機の副操縦士ロバート・ルイスと共にインタビューに答えています。 子供の頃、紘子さんは自分の街を破壊した人間を憎んでいたと語っていたのですが、ルイスの深い反省と後悔を目の当たりにして、「人を憎むことが道ではなく、戦争そのものが悪なのだ 」と悟るのです。 紘子さんは、私たち一人ひとりの心の中に平和が訪れるよう、一人一人が世界の平和を祈り続けてほしいと願っています。 77年前の8月15日正午、日本の天皇陛下による玉音放送(ポツダム宣言の受諾)がラジオで流れました。それは日本がアメリカに降伏した日です。 第2次世界大戦は1945年に終結しましたが、1945年以降、数え切れないほどの戦争が起こりました。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、レバノン戦争、湾岸戦争(クウェートとイラク)、ソマリア、ハイチ、アフガニスタン、そして最近では、ロシアとウクライナの戦争など。 私たちはどうすればピース・メーカーになれるのでしょうか。 まず、祈ることから始めましょう。 祈りは常に良いものであり、私達にとって必要なものです。 祈りは私たちの心を1つにしてくれます。しかし、私たちの中には、もっと多くのことをするように神から召されている人がいるかもしれません。平和をもたらすには、小さなステップと大きなステップがあります。 祈りは時に私たちを行動へと導きます。行動にはさまざまな形があります。1933年から1945年まで第32代大統領を務めたフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の妻、エレノア・ルーズベルトはかつて次のような言葉を残しています。「平和について話すだけでは不十分で、それを信じなければならない。そして、それを信じるだけでは十分ではありません。それに向けて行動を起こす事が必要なのです。」 伝道者、平和主義者として知られる賀川豊彦牧師。賀川牧師は青年期にキリスト教徒となり、長老派の宣教師によって神学校に送られました。 当時は日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)の時代で、当時の学生は軍事訓練をカリキュラムの一部として行っていましたが、賀川牧師は平和主義者であったため参加することを拒否し、他の学生から順番に殴られるような状況だったそうです。 「ピース・メーカーでいれる者は幸いである」というイエスの言葉を真摯に受け止めたのです。 また、賀川牧師は「国々は戦争をしてはならない」(イザヤ書2:4)と信じていました。そして、「理想を持つだけではダメだ。理想を持つだけではダメで、それを行動に移さなければならない。」と語っていたのです。 平和を実現するために行動を起こす方法はたくさんあります。 平和を支持し、平和を促進する政策を支持する政治家に投票することができます。 日本国平和憲法第9条を支持する。和解のために努力する。 他の国の人たちとの架け橋になることもできます。 例えば、私の夫は毎年、大阪で開催される韓国、北朝鮮、在日韓国人の子どもたちの絵画展の手伝いをしています。これも平和をもたらす方法のひとつです。ピース・メーカーとして行動したければ、様々な方法があるのです。 「ピース・メーカーでいれる者は幸いである」 ピース・メーカーとは何か、イエスは何を伝えたかったのでしょうか? ピース・メーカーとは、人と神、または人々同士を互いに和解させるために積極的に働きかける人の事を言います。 近藤紘子さんは熱心なピース・メーカーで、世界中で平和についての話しをしています。 ロイ・ミスラングさんが日曜学校で話してくれたように、また私も以前の説教で話したように、「平和」という言葉はヘブライ語で「シャローム(Shalom)」という単語になります。イスラエルにいるときはシャロームを聞き、パレスチナにいるときは 「サラーム(Salaam)」という言葉を聞きましたが、これはアラビア語で 「平和(shalom)」という意味になります。イスラエルでは、「こんにちは」「さようなら」と同じように、挨拶や別れの言葉として、このシャロームがよく使われますが、人生全体、健康、繁栄、穏やかさ、幸福、トラブルからの解放、完全な豊かさ、調和、神の祝福なども含んでいるので、「こんにちは」や「さようなら」よりもはるかに広い意味を持っているのです。 シャロームの「神の祝福」という意味が私は一番大好きです。民数記6:24-26で大祭司であるアーロンが述べた福音は「シャローム」という言葉が使われる時、以下の意味を持つと言っています。「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」 シャロームには、正義と正しさも含まれます。正義が勝り、義が支配するところには、平和もあるのです。しかし、この2つの美徳がなければ、永続的な平和は実現しません。 これが日本語のシャローム、平和です。平和 という漢字は、以下の2文字で構成されています。 まず「平」:この漢字の最初の部分は、一つ屋根の下という意味です。 私たちは皆、同じ屋根の下におり、私たちキリスト教徒にとっては、皆、天の下にいるのです。 「和」: この漢字はよく調和(ハーモニーや和み)に使われます。この漢字の一部は、「穀物」と 「口」を意味します。平和とは、単に戦争や紛争がないことではなく、誰もが十分に食べることができる社会の実現だと言えるでしょう(ただし、国によって食料を受け取とる側と与える側を分断するという武器にもなりえます。今回の戦争でロシアが世界的な食糧危機を招いたという話もあります)。 ピース・メーカーとは、「平和を創る者、平和の推進者」という意味です。ピース・メーカー になるには、受け身で待つのではなく、自ら行動することが必要です。イエスは 「平和を願う人、平和を夢見る人、平和を愛する人は幸いである」とは言っていないのです。平和を生むには、主体性が必要なのです。 神は平和の創造者です。神は私たちが平和に生きることを望んでおられます。 イエスは最高のピース・メーカーです。イエスは私たちの中に平和をもたらし、私たちが他の人々や世界に平和をもたらすようにと呼びかけておられるのです。 イエスは平和を創造するために来られ、彼の説教は平和とは何であるかを説き、彼の死は平和を手中に収め、彼が復活した姿が平和を与え、だからこそ、キリスト教徒である私達は、人生をイエスに捧げるのです。イエスがこの地に降りてきてくれたからこそ、私たちはこの世界で1つになり、平和の中で生きることができるのです。 イエスは「平和の君である」(イザヤ書9:6)。天使はイエスの誕生を祝い、歌い「いと高き所に栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカの福音書2:14)。イエスが罪人に対して発した赦しの言葉は「平安と共に歩め」でした。十字架にかけられる直前のイエスの遺言が、本日の2番目の聖書朗読箇所です。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書14:27) 復活した主が、弟子たちに最初にかけた言葉は「シャローム(Shalom)」と「平和が皆さんと共にありますように!」でした。(ルカの福音書24:36) イエスは、神の平和をもたらしたのです。イエスは、私たちの心に平和をもたらす究極の平和創造者です。私たちが平和のなかで生きれるように、私たちのために十字架上で血を流して罪の代価を払ってくださったのです。 使徒パウロはキリストを通して、神は喜ばれたと書いています。「その十字架の血によって平和をつくり…」(コロサイ人への手紙1:20。パウロはイエスが、「…このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり…」(エペソ人への手紙2:15)。キリストは私たちの心、人間関係、教会、国家、そして世界に平和をもたらす最高の模範なのです。 しかし、その作業は簡単ではありません。平和のために活動している組織はあります。 私と主人(トシ)は、東京に住んでいた頃、日本キリスト教協議会(NCCJ)の「核問題・平和委員会」に所属していました。 (主人は日本キリスト教協議会の事務局長、私は西東京ユニオン教会の牧師の傍ら、日本キリスト教協議会会報の編集に携わっていました。また、日本国憲法の「不戦の誓い」である9条を支持する一員でもありました。 東京に住んでいる間、毎年、他のカトリックやプロテスタントの教会と一緒に「平和のためのキャロリング」を行い、仏教の僧侶も参加してくれたことを思い出します。 教会での平和礼拝の後、ある年は東京ユニオン教会で行いましたが、その後は街頭でクリスマスキャロルを歌いました。 音楽もまた、人々の心に平和をもたらし、私たちの心を一つにする方法です。 パウロがローマ人に宛てて書いた手紙には「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ人への手紙12:18)。可能であれば、自分の考え方次第で、全ての人と平和に生きよう。というメッセージはとても明確です。パウロは「もし可能なら(if it is possible)」という言葉を重要なフレーズに付け加えています。時に付け加えていない場合もあるのですが、最後の部分には、「あなた次第で(depends on you)」 とも書かれています。私たちには、神から与えられた聖書で指示された平和を追求する責任があると思うのです。讃美歌「地上に平和あれ(Let there be Peace on Earth)」にあるように、「平和を私から始めよう」。使徒パウロは「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。」と宣言しています。(コリント人への手紙 第一 7:15) 時に私たちはピース・メーカーとして「意見の相違に同意」しなければいけませんし、そうすることもあるでしょう。それは必ずしも容易なことではなく、物事がいつもスムーズに運ぶとは限りません。しかし、私たちは自分の言葉と行動で、そして許し、理解、和解を広めることで、ピース・メーカーになることができるのです。 アッシジの聖フランシスコがピース・メーカーとして知られているのは、彼が書いたかどうかるか分からないけれども、彼が書いたと言われる祈りがあるからです。1181年、彼はイタリアのアッシジに生まれました。 彼はイタリアの布商人の息子で、騎士として戦争に参加しました。しかし、彼は夢や幻を見るのです。帰国後、彼は人生を変え、すべての財産を捨て、清貧の生活を送り、神のために献身し、平和に暮らしたのです。 平和は、私たちの中にいる聖霊が、私たちがピース・メーカーになるために何を教えようとしているのかを学ぶときに訪れます。私たち一人ひとりが平和を作り出す人になることができます。小さなことでも、大きなことでも。 私たち一人ひとりが、世界を少しずつ変えていく方法を見つけることができるのです。 もしかしたら、今朝、聖霊があなたの心を引っ張って、もっと平和を作り出す人になるようにと促しているのを感じたかもしれません。もしそうなら、聖フランシスコの偉大な祈りの最初の部分を、私の後に続き、一行ずつ、静かに繰り返してください。 「主よ、私をあなたの平和の手段としてください。 憎しみのあるところに、愛を蒔かせてください。 傷のあるところには、赦しを。 疑いのあるところには、信仰を。 絶望のあるところに、希望を。 暗闇があるところ、光を。 悲しみのあるところに、喜びを。 キリストの平和が私たちの心に、そして広い地球全体に満ち溢れますように。それでは、「キリストの平和」を聞きましょう。 聖書以外に使用した参考資料 近藤紘子さんに関する内容: https://en.wikipedia.org/wiki/Koko_Kondo; https://rise.icanw.org/koko_kondo; “被爆者: Late reverend's daughter aspires to spread message of peace in and outside Japan” https://mainichi.jp/english/articles/20220106/p2a/00m/0na/014000chttps://www.abc.net.au/news/2020-08-06/atomic-bomb-survivors-75-years-after-hiroshima-nuclear-attack/12501636 Countries that have been at war: https://www.infoplease.com/history/us/major-military-operations-since-world-war-ii The Eleanor Roosevelt Encyclopedia edited by Hoffman Beasley, Cowan Shulman, Henry R. Beasley Definition of shalom: https://www.preceptaustin.org/shalom_-_definition 賀川記念館(神戸・三宮)https://core100.net 賀川記念館 「ピース・メーカー」とはhttps://www.studylight.org/language-studies/greek-thoughts.html?article=17 日本キリスト教協議会 (KUCは他のユニオン教会と共に準会員教会です) 日本キリスト教協議会. https://ncc-j.org/ 聖フランシスに関する詳細は https://en.wikipedia.org › wiki 聖フランシスの祈りにについては https://en.wikipedia.org/wiki/Prayer_of_Saint_Francis 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。(イザヤ書2:4) さて、夏がやってきました。夏について言えることのひとつは、人々は喉が渇くということです。喉ごしの良い冷たい飲み物が欲しくなります。おいしい冷たい飲み物をたくさん。そこで今日は、イエスと井戸端の女の話と、喉の渇きというテーマで考えたいと思います。
真実、イエスは素晴らしい方です。2000年もの間、私たちはイエスに驚かされてきました。 聖書にはイエスの言葉は驚くべきものとあります。奇跡は驚くべきものでした。 彼の人生は驚くべきものでした。 イエスに従った人々もまた、驚きの連続でした。使徒伝4:13には、「ペテロとヨハネの大胆さを見て、彼らは驚いた」と書かれています。普通の人でしたが、ペテロとヨハネは、イエスと一緒にいた人として認められたからです。 今日のメッセージは、あなたと私がイエスに出会ったときに何が起こりうるか、そして、神様の驚くべき愛と存在が私たちの平凡な人生を驚くべきものに変えることができるかということについてです。クリスチャンは皆、イエスが素晴らしかったということに同意していますが、しばしば私たちは自分自身が全く素晴らしくないということに気づきます。イエスは罪のない完璧な方でしたが、私たちは罪と間違いでいっぱいです。神はあなたを愛しており、あなたとの親密な関係を望んでおられます。もし、あなたの間違いや過去が神との親密な関係を遠ざけているなら、これはあなたにとって素晴らしいメッセージです。 アダムとエバを見てみましょう。彼らは罪のない完璧な環境に住んでいました。 そして神様は、"その1本の木の実以外、すべて食べてもよい "と言われました。しかし、彼らは誘惑に抵抗できず、罪と死がこの世に入り、完全で聖なる神から離れる結果となりました。彼らの過ち、罪のために、彼らは完璧なエデンの園から追い出され、人々は地球上に散らばりました。そして事態はますます悪くなっていきました。 罪と間違いは、私たちの人生の一部です。しかし私たちには希望があります。今日、私がお話ししたいのは、イエスが過ちに満ちた過去を持つ女性と対面する出来事からです。 「井戸端の女」と呼ばれています。ヨハネの福音書4章に書かれていますが、この出来事には私たちがイエスを受け入れるときに、いかに素晴らしい人生を送ることができるかということについて、私たちの人生に関連することがいくつかあると思います。 ヨハネによる福音書4章3節に 「それで、イエスはガリラヤに帰るためにユダヤを去られたが、途中サマリヤを通らねばならなかった」 とあります。さて、ユダヤ人はサマリヤを通ることはありません。実はユダヤ人はサマリヤを避けて通るのです。地図で見るとサマリヤを通るのが一番近道なのに、ユダヤ人はわざわざ遠回りするのです。ヨルダン川を渡って、遠回りするのです。なぜか?サマリア人は、アッシリア人と交配したユダヤ人だったからです。ユダヤ人にとって、サマリア人は汚れた存在であり、ほとんど犬のようなものでした。だからサマリヤを避けたのです。しかし、ヨハネはイエスがそこに行かねばならなかったと言います。なぜでしょうか?それは、一人の女性とその村の心と生活の中に霊的な必要性が待っていたからです。 ここで最初のポイントにたどり着きます。 1. イエスはあなたがいるところで会われたいと願っておられます。 あなたがどこにいるか、あなたの過去がどれほどひどいものであるかは問題ではありません。あなたがどんな経験をしているかは関係ありません。イエスはそこであなたに会うことができます。この女性はひどい過去と大きな必要を抱えていましたが、井戸でイエスに出会いました。礼拝の場ではありません。あなたはどこでもイエスに会うことができます。 車や電車に乗っていても、自動販売機で飲み物を買っていても、イエスにお会いすることができます。学校や職場にいても、山の頂上にいても、イエスはそこで出会ってくださいます。 イエスはこの女性の人生に、普通の日に、彼女が普通の仕事をしている時に入ってこられました。イエスは7節で彼女に "水を飲ませてください "と言われました。聖書によると、その日は昼の時間帯で、一日のうちで最も暑い時間帯でした。 イエスは長い散歩の後、井戸のそばに座っておられます。真昼間で、扇風機も冷たい水を入れた魔法瓶もなく、近くにポカリスエットを売る自動販売機もないので、暑くて疲れて喉が渇いていたのでしょう。そして女性が一人で井戸にやってきます。彼女には井戸端会議はありませんでした。他の女たちは皆、涼しい朝方に井戸に行っていました。しかしこの女性は昼の時間帯に一人で来ていたことから、他の女性たちから軽蔑され、いじめられていた、社会的なはみ出し者であったことが分かります。しかし、彼女はイエスに愛され、受け入れられました。9節に、「ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持とうとしないので女は驚いた。 あなたはユダヤ人で、わたしはサマリヤの女です。 なぜ、私に飲み物を求めるのですか」 と言ったとあります。彼女はイエスが自分の民族的アイデンティティや社会的地位や性別を理由に拒絶しなかったことに驚いたのです。10節では、「もしあなたが神の賜物を知っており、「水を飲ませてください」と言ったのが誰であるか知っていたならば、あなたのほうからその人に尋ね、その人はあなたに生ける水を与えたことであろう」 と言われています。 彼女は驚き、混乱し、まだ水のことを考えています。驚くべきことは、イエスが神は私たちが今いる場所で会いたいと思っておられることを示していることです。そして、あなたのために何かを持っておられるのです。たとえあなたの過去がひどいものであっても、過ちや罪に満ちていても、金持ちでも貧乏でも、孤独でも、霊的に渇いていても、イエスはあなたに会ってくださるのです。イエスは、あなたが今いる場所で、あなたと出会いたいのです。 この女性はその日、イエスに出会うことを期待していませんでしたが、イエスは彼女を、彼女が夢見ることのできる質の高い人生で満たしてくださいました。そして自分では手に入れることのできないものを与えてくださったのです。イエス様は私たちに何を与えようとされているのでしょうか? 2. イエスは、あなたの物理的、霊的な必要を満たしたいと思っておられます。 13-14節で、イエスは 「この水を飲む者は誰もでもまた渇いてしまうが、私が与える水を飲む者は決して渇かない。 私が与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちに至る水が湧き出る」 と言われます。 イエスはまず、この女性に井戸の水という物理的な渇きを訴えられましたが、その後、彼女の霊的な渇きに話題を変えられたのです。日本は8月です。私たちは皆、自分の身体の渇きを自覚し、その渇きをどのように満たすかを考えています。そのためには難しい選択をしなければならないかもしれなません。ポカリスエットかアクエリアスか?あるいはどんなお茶がいいのか?あるいはソーダがいいのか?それともスターバックスでフラペチーノを買うか?なかなか決められませんが、私たちは簡単に肉体的な渇きを満たすことができます。しかし私たちは自分の霊的な渇きを自覚しているでしょうか?これこそイエスが満たしたいものです。神は私たちにこの渇きを認め、祈りという井戸から水を汲んで渇きを癒すよう求めておられます。私たちの霊的な渇きは、個人的な心配事や心の痛みかもしれません。井戸の女はイエスから、水のような物質的なものは永続的な平安を与えることはできず、せいぜい一時的な満足を与えるに過ぎないということを学びました。それに対して、イエス・キリストを信じる信仰とその模範を真似ることは、私たちや私たちの人生に関わる人々にとって、永続的なリフレッシュの源となり得るのです。イエスは二つのことをしたいのです。1つは、あなたが今いる場所で出会うこと、そしてもう1つは、あなたの物理的、精神的な欲求を満たすことです。 それから、イエスが私たちに望んでいることは2つあります。 3. イエスは、あなたが自分の間違いを乗り越えることを望んでおられます。 あなたが自分の間違いを乗り越えるとき、イエスはあなたの霊的な必要を満たし始めることができるのです。 16節で言っていることを見てください。「行って、あなたの夫をここへ呼んで来なさい。」 彼女は、「私には夫がいません」 と言いました。イエスは言われた、「確かにあなたには夫がいない。5人の夫がいたが、今一緒に住んでいる男とも結婚していない」。イエスは神であるがゆえに、この女性についてすべてを知っていました。そして神は私たちの秘密や痛みをすべて知っていて、私たちの本当の姿を見て、それでも無条件に完全に愛してくださるのです。 女性は会話の方向性が気に入らず、19-20節で『先生、あなたは預言者に違いありません。では、なぜユダヤ人はエルサレムだけが礼拝の場だと主張し、私たちサマリア人はあの山上の方に礼拝の場があると主張するのか、教えてください。』と言ったとあります。 会話がヒートアップし、恥ずかしくなったり、少し居心地が悪くなったりした時は、その気持ちを押さえてください。あなたの心の扉をノックして 「私はあなたと話したい。あなたに教えたい、あなたに説明したい」と神は言っておられるのです。私たちは皆、恥ずかしいと思っていることがあります。 しかし、イエスがすばらしいのは、彼女の過去の罪を認めながらも、彼女を受け入れ、彼を主であり救い主として知るようにと招いていることです。そして彼女の過去の5人の夫のことを持ち出しながら、彼女が手に入れることのできる未来について話しています。 イエスは決して過去に焦点を当てないのです。過去に焦点を当てるのは私たちだけです。イエスはすぐに未来に進み、神を礼拝することがどのようなものであるかについて話されます。 ここで、聖なる者、神の子、つまり完全な者が、罪のただ中に立ち、人種、性別、宗教などすべての壁を越えて、この女性に愛を示しています。彼は彼女の過去にこだわらなかった。 私たちはそうしてしまうものなのです。「私は依存症で......嘘つきで......」と、自分にレッテルを貼ってしまうのです。 私たちはいつも自分の過去に基づいて自分にレッテルを貼っています。神はそのようなことはなさいません。神は、私たちの未来に焦点を合わせています。 もしあなたがクリスチャンなら、過去も現在も未来も、すべての罪が赦されているのです。あなたの過去から前進してください。新しいスタートを切りましょう。古い人生を捨て去りましょう。赦しとは、それを本当に理解したときに、驚くべき贈り物となるのです。私たちが赦されるのは、イエス様が救い主だからです。彼は私たちが必要とするメシアなのです。イエスはあなたが間違いを乗り越えることを望んでいます。そして、もう1つ、私たちにしてほしいと思われることがあります。 4. イエスはご自身がメシアであることをあなたに知ってほしいのです。 この女性はメシアのことをある程度知っていました。25節で「メシアはキリストと呼ばれる方が来られ、その方が来られたら、私たちにすべてを説明してくださることを知っています」と言います。彼女はその預言について知っていたのです。26節では、「イエスは彼女に言われた、わたしはメシアである」とあります。 ”私はメシアだ という言葉をどう受け止めればいいのでしょうか。 "私は良い教師です"とは言っていません。"私は道徳的でいい人だ "と言ったのでもありません。"私は救世主だ とイエスは言いました。 C・S・ルイスの 『キリスト教の精髄』 の中に、素晴らしい言葉があります。「イエスが言ったようなことを言う人間は、偉大な道徳的教師にはなれないだろう。自分がポーチドエッグだと言った人と同レベルの狂人、あるいは地獄の悪魔だろう。 あなたは自分で選択しなければならない。 この男が神の子であった、そして今もそうであるか、さもなければ狂った人間か、あるいはもっと悪いものであるか。」 と述べています。 イエスとは何者か?彼は嘘つきですか?2000年間、人々を騙してきた狂人なのか?それとも自分が主であると言った人なのでしょうか。そして、もし彼が神であったなら、それはあなたにとって何を意味するのでしょうか?井戸の女性のように、あなたがイエスを信じるとき、あなたの人生は一瞬にして変わります。希望と平安を知り、驚くべき変化を経験することになるのです。私は、自分の人生が神様の素晴らしい愛で満たされるまでは、誰も素晴らしい人生を歩むことはできないと固く信じています。カリフォルニア大学バークレー校の学生時代にクリスチャンになって以来、その場所はクリスチャンになるにはとても奇妙な場所ですが、神様は私の人生に物理的にも霊的にも驚くべきことを行ってくださいました。驚くべきことを創造し、あなたを変える力を持つ神に出会うまで、あなたは本当に驚くべきことを知らないのです。 1. イエスは、あなたが今いる場所で出会いたいと願っています。そして、2. イエスはあなたの物理的、霊的な必要を満たしたいと思っています。そして、3. イエスはあなたが失敗を乗り越えて前進することを望んでおられます。 4. イエスは自分がメシアであることをあなたに知ってもらいたいと願っています。 そして、もしイエスがすでにあなたとこのような関係を持っているならば、あなたが人生を最大限に生きることを望んでおられるのです。素晴らしい人生は神様の素晴らしい愛が中心であるときに起こります。そしてそれは、今日初めて聞く人も、何千回目かに聞く人も同じです。 このようなことを話すときは、いつも自分の人生の位置を評価するのがよいでしょう。 素晴らしいイエスとあなたの関係はどうでしょうか? この物語から、あなたにアクションステップを与えます。井戸を去って、語るのです。聖書によると、彼女はイエスに出会ったとき、水差しをその場に置き去りにし、走って戻って村に告げたそうです。そして彼らはキリストを探しに来たのです。多くの人は、一度クリスチャンになると、クリスチャンの友達しかいなくなります。小さなクリスチャンクラブに入り、小さなクリスチャン聖書研究会に行き、小さなクリスチャントークをして、「イェーイ、イエス様!私たちはあなたを愛しています。私たちはあなたを愛しています」と、そういうことをします。しかし、もしあなたが本当にイエス・キリストの信奉者であるなら、良い知らせについて自分自身を抑えることができません。本当に渇いている人たちのところに行くのです。 そうすると、たいていの人は不安になります。「どうしたらいいんだろう?何を話せばいいんだろう?」さて、イエスは井戸の女に何をしたのでしょうか?彼は親切でした。質問されました。質問に答えられました。彼女のことを本当に心配しておられました。聖句を忠実に説明されました。そして、この女性に、喉が渇いている人には良い知らせがあることを知らせたのです。 もしあなたがイエスの弟子であるなら,あなたの仕事は他の人々を改宗させることではありません。牧師も改宗させるのが仕事ではありません。私たちの仕事は、井戸から出て、神様が私たちの人生に何をしてくださっているのかを伝え、私たちの物語を共有することなのです。それが私たちの仕事です。その結果どうなったか分かりますか?人々の人生が変えられたのです。 クリスチャンであることは、本当に素晴らしいことです。刑務所から釈放されたようなものです。 あなたは解放され、赦され、神の霊に満たされるのです。井戸端の女性はイエス様驚き、感嘆しました。そして、驚くべきイエスは、あなたのいる場所であなたに会い、あなたの平凡な人生を驚くべきものに変えたいと願っておられるのです。 |
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