ひとつになる心
- 8月10日
- 読了時間: 10分
「ひとつになる心」
説教者:Ted Kitchen, Jr.
神戸ユニオン教会
2025年8月10日
おはようございます。
今日、再び神戸ユニオン教会で説教の機会をいただけたことを、大変光栄に思っています。テッド・キッチンと申します。ご存じの方も多いと思いますが、私はこの教会でKUPCマネージャーとして働いています。
今日は、「一致(ユニティ)」の大切さについてお話ししたいと思います。私たちの教会の中での一致、世界中の教会との一致、そしてすべての国と人々の間での一致についてです。また、「平和」の大切さについても触れたいと思っています。少し話があちこちに広がるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
今週の日曜日は、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから80年を迎えるにあたり、その犠牲者の方々を覚える時でもあります。原爆を体験された方々が少なくなってきている今こそ、これからの世代に核攻撃の恐ろしさを伝えていくことが、ますます重要になってきています。
私が初めて広島を訪れたのは、今から55年前、大阪万博(エキスポ70)を見に行った帰りのことでした。当時、私は11歳でした。平和記念資料館を見学した後、外に出たとき、私は感情が抑えきれなくなり、泣き崩れてしまいました。家族が慰めてくれましたが、本当に信じられないような出来事で、アメリカ人であることが恥ずかしく感じました。
その後、20代の頃に神戸に移り住んだ私は、『ピカドン』という原爆を題材にした絵本を読みました。その夜、私は恐ろしい悪夢を見ました。自分がその場にいて、原爆の爆発を体験している夢でした。目の前で人々の体が溶けていき、彼らの痛みが自分にも伝わってくるようでした。あのときの感覚は、今でも忘れられません。
今もなお、核兵器の脅威は現実のものです。だからこそ、私たちは核兵器に反対し続けなければなりません。世界では、今もさまざまな場所で争いが起きています。特に、ガザやウクライナの状況は、私たちの心に重くのしかかっています。だからこそ、平和が訪れるように、希望を持ち、祈り続けることが必要です。戦争が正当化されることは決してあってはなりません。戦争は、人のいのちの尊さを無視してしまうからです。「アメリカ・ファースト」や「日本・ファースト」といった言葉を、私はどうしても受け入れることができません。そうではなく、「人間が一番大切」そんな考えであるべきだと思っています。
私は、この神戸ユニオン教会の一員でいられることを、とても嬉しく思っています。私たちの教会は、長い間「ユニオン教会」、つまりさまざまな背景を持つ人々が一つになった教会として歩んできました。今年で154年になります。キリスト教には多くの宗派がありますが、KUCでは、違いにあまりこだわらず、「何が共通しているのか」「何がいちばん大切なのか」を大切に考えています。
聖書のガラテヤ人への手紙 3章28節には、こう書かれています。
「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」
歴史的に見ると、私たちの教会は、主にプロテスタントの伝統的な教派(会衆派、長老派、メソジスト派)から影響を受けてきました。でも、最近ではもっといろいろな宗派が混ざり合った教会になってきています。たとえば、ここ最近の牧師先生はバプテスト派の方でしたし、今は初めてメノナイト派の先生をお迎えしています!
また、昔は教会のメンバーの多くがアメリカ人でしたが、今では本当に国際的な教会になりました。私はこれをとても素晴らしいことだと思っています。神様を礼拝する方法もさまざまです。伝統的な賛美歌やオルガンの音楽もありますし、現代的なプレイズソングもあります。どちらも素敵で、私はどちらも大切にしたいと思っています。私が願っているのは、このような多様性を通して、私たちがもっとお互いから学び合える教会になることです。それぞれが持っている賜物(神様から与えられた才能や役割)を、尊重し合い、楽しんでいけたらいいなと思います。そして何よりも、その賜物を自分のためだけでなく、神様を賛美するために、また、周りの人たちのためにも使っていきましょう。
私はこれまで、基本的にずっと「ユニオン教会」や「合同教会」の中で育ってきました。
東京で育った私は、東京ユニオン教会に通っていました。この教会も、歴史的には主にプロテスタントの主流派教派(メソジスト、長老派、会衆派など)から影響を受けてきました。私たちが今KUCで使っている「ユナイテッド・メソジスト・ヒムナル(合同メソジスト賛美歌集)」も、東京ユニオンチャーチで使っていたものと同じです。
私の両親はメソジストの宣教師で、私自身も長年、メソジストの宣教師としてキリスト教学校で働いてきました。でも実は、自分が「特にメソジストだ」と強く感じたり、「メソジストってどういうことなのか」を深く理解したりすることは、あまりありませんでした。その理由のひとつとして、日本には「日本メソジスト教会」というものが存在しないということがあるかもしれません。第二次世界大戦中、日本政府は国内にあったすべてのプロテスタントの教派を一つにまとめるように命じ、「日本基督教団(United Church of Christ in Japan)」が作られました。
戦後になると、それぞれの教派は元の教団に戻ることが許されました。バプテスト派やルター派など、多くの教派は分かれていきましたが、主流派の教派はそのまま一緒に残ることを選びました。
私はずっとそのことを知りませんでしたが、面白いことに、カナダには「カナダ合同教会(United Church of Canada)」があり、オーストラリアには「ユナイティング・チャーチ(Uniting Church)」があります。どちらも、主流派教派が合同してできた教会です。
大学卒業後に神戸に引っ越してきたとき、自然な流れで神戸ユニオン教会に通い始めました。当時は三宮に教会がありましたが、今では山の上に移って、こうしてこの場所で輝いています!その後、ハワイで大学院に進学したとき、「どの教会に通おうかな」といろいろ見て回りました。まずはメソジスト教会を訪ねてみましたが、最終的には長老派(Presbyterian)の教会に通うことにしました。
その理由はとてもシンプルで、そこの教会には素晴らしい聖歌隊があったからです。私は歌うことが大好きだったので、それが決め手でした。
今では、教派同士の違いにこだわることは、昔ほどなくなってきているのかもしれません。
歴史を振り返ると、たとえば北アイルランドでは、プロテスタントとカトリックのキリスト教徒が、宗派の違いをめぐって争い、実際に戦争まで起きました。
私の母は「ナザレン派」という教派の出身です。彼女の家族は農家で、とても保守的でした。テレビを持つことに反対していて、車を持つ理由も「農作物を市場に運ぶため」と「教会に行くため」だけという考え方でした。そんな母が、父と出会い、結婚し、メソジストの宣教師になることを決めたとき、母の両親は彼女を勘当しました。でも、最初の孫が生まれ、何年も経ってから、ようやく彼女は家族に受け入れられるようになりました。
さきほどもお話しした通り、私はメソジストの宣教師として働いていましたが、それでも「自分は絶対にメソジストだ!」と強く思ったことは、実はあまりありません。ちょっと恥ずかしい話ですが、つい最近まで、メソジストが「幼児洗礼」を認めていることさえ知りませんでした。というのも、私の両親は「洗礼は、自分で信仰を決められる年齢になってから受けるべきだ」という考え方を持っていたからです。両親がメソジストの宣教師だったので、「それがメソジストの考え方なんだ」と思い込んでいたのですが、実はそれは両親個人の信仰だったのです。私は13歳のとき、コンファメーション・クラス(信仰告白準備のクラス)を受けてから洗礼を受けました。
さて、少し話題を変えましょう。
「有名な兄弟姉妹」と聞いて、誰を思い浮かべますか?
たとえば…ライト兄弟、グリム兄弟、ケネディ兄弟、高嶋兄弟、小泉兄弟、ウィリアムズ姉妹(ビーナスとセリーナ)、きんさん・ぎんさん…など、いろいろいますね。
今日、私が紹介したいのは「ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレー」という兄弟です。
ジョン・ウェスレーは、イギリスでメソジスト教会を始めたことで知られている人物で、私の父もジョン・ウェスレーをとても尊敬していました。私自身も、彼の神学に大きな影響を受けました。ジョンには、良きパートナーであり音楽家でもあった弟、チャールズがいました。彼はオルガン奏者でもあり、なんと6500曲もの賛美歌の歌詞を書いたと言われています。今でも私たちの教会の賛美歌集の中には、彼の書いた賛美歌が多く収められています。
17世紀、彼ら兄弟はイギリス国教会の改革に取り組み、社会正義のためにも活動していました。アメリカのジョージア州に宣教師として行ったあと、イギリスに戻って社会改革を進めました。たとえば、奴隷制度の廃止、刑務所の改革、女性の権利などにも取り組みました。また、教会の建物に人々が来るのを待つのではなく、自分たちから地域に出向いて、特に貧しい人々に福音を届ける「野外説教」や、信徒による説教(レイ・プリーチング)も奨励しました。
この「弱い立場にいる人々を助ける」という精神は、今でもメソジスト教会の中に生き続けています。学校や病院の設立などにも関わってきました。日本でも、メソジストの関わった学校がいくつもあります。教育や訓練をすべての人に提供し、人々が学んだことを他の人のために活かせるようにする――そんな動機が、メソジスト教会の活動の原点にあります。
ここでひとつ興味深いことをご紹介したいと思います。私は以前、「啓明学院(けいめいがくいん)」というキリスト教学校で働いていました。この学校は、今のマーク牧師も関わっている「日本基督教団(United Church of Christ in Japan)」に属する学校です。けれども、この学校は、もともと戦前に創立されたもので、実は今でも強く「メソジストの伝統」を大切にしています。教団としては合同教会に所属していますが、そのルーツははっきりとメソジストにあるのです。メソジスト教会は、助けを必要としている人々や、社会的に弱い立場にいる人々を支援することで知られています。そして、私たちが見習うべき一番大きな点は、まさにこの姿勢だと思います。
でも、ジョンとチャールズ・ウェスレーは、社会活動だけでなく、とても霊的な人たちでもありました。彼らは、「ホーリー・クラブ(聖なる会)」というグループをつくり、ある方法に従って霊的な訓練を行っていました。実は、「メソジスト(Methodist)」という言葉は、そこから来ているんです。
彼らは毎日、朝6時から9時まで祈りの時間を持ち、毎週聖餐式を行い、毎週水曜日と金曜日には午後3時まで断食をしていました。こうした聖霊に満たされた集まりこそが、彼らに力を与え、貧しい人や苦しんでいる人々のもとへ出かけていく原動力になっていたのだと思います。
ジョン・ウェスレーの有名な言葉に、こんなものがあります:
「得られるだけ得なさい。節約できるだけ節約しなさい。そして、与えられるだけ与えなさい。」
今日、私は「メソジストになりましょう」と勧めたいわけではありません。
そうではなく、教派や宗派の違いによって分断されるのではなく、もっと大切なこと――イエスさまの福音を伝え、人々をイエスさまがしてくださったように助ける――その目標に、共に向かっていきましょう、ということを伝えたいのです。
今日は、戦争と原爆という非常に痛ましい出来事を思い起こす特別な日です。
最後に、アッシジの聖フランシスコによるとされている「平和の祈り」をもって、このメッセージを締めくくりたいと思います。
みなさんは、アッシジのフランシスコをご存じでしょうか?
彼は12世紀のイタリアに生きた人で、裕福な家庭に生まれましたが、贅沢な生活を捨てて、貧しさの中でキリストに従う道を選びました。そして「フランシスコ会」という修道会を創設しました。この修道会は、日本に来た最初のキリスト教宣教師の中にもいました。今日も、そしてこれからの日々も、私たちが「平和の器」として用いられるように願いながら、この祈りをご一緒に捧げましょう。
祈りましょう
アッシジの聖フランシスコの祈り(平和の祈り)
主よ、私をあなたの平和の器としてお使いください。
憎しみのあるところに、愛を、傷のあるところに、赦しを、
疑いのあるところに、信仰を、絶望のあるところに、希望を、
闇のあるところに、光を、
悲しみのあるところに、喜びをもたらす者としてください。
主よ、私が求めるよりも、
慰められることよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されることよりも、愛することを求めることができますように。
私たちは、与えることによって受け、赦すことによって赦され、
死ぬことによって、永遠のいのちに生まれるのです。
アーメン。





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